日本歴史地名大系 「梅花社跡」の解説 梅花社跡ばいかしやあと 大阪府:大阪市西区斎藤町梅花社跡[現在地名]西区江戸堀一丁目町人儒学者篠崎三島が安永五年(一七七六)白子(しろこ)町に開いた私塾で、文化一三年(一八一六)養子の篠崎小竹のとき斎藤(さいとう)町に移り隆盛を極めた。天保二年(一八三一)に尼崎(あまがさき)町二丁目(現東区)に移り、小竹の女婿篠崎竹陰に引継がれたが、安政五年(一八五八)竹陰の死とともに廃絶した。篠崎三島(名は応道)は玉水(たまみず)町の両替商伊予屋の次男に生れた。菅甘谷の門に入り、徂徠学(古文辞学)を修めて詩文をよくし、片山北海を盟主に頼春水・尾藤二洲らと混沌(こんとん)社を結び、中井家の懐徳(かいとく)堂(跡地は現東区)と並んで大坂の学界に重きをなした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by