梨木町(読み)なしのきちよう

日本歴史地名大系 「梨木町」の解説

梨木町
なしのきちよう

[現在地名]盛岡市梨木町

山伏やまぶし小路の北東に延びる二町ほどの同心組町(「盛岡砂子」など)。東は田地を隔ててなが町に対し、西は上田うえだ下台しただいに接し、北東は上田小路につづく。寛永城下図の当地は田地の間を通りが走り、かつては梨の大樹が茂っていたという(盛岡砂子)。元文城下図には「ナシノキ丁同心丁」とみえ、山伏小路の方から町の中ほどの横町を挟み、日戸勘十郎組・横浜官左衛門組の足軽組が置かれている。町の中ほど西裏には大勝だいしよう寺の隠居地があり、その西隣は「観音、ナシノキ」と記される。ここは疱瘡守護神で、疱瘡神の本地は正観音であったという。「盛岡砂子」によれば、当町東裏から長町明宜みようぎ庵の付近までが荒野であった頃、梨の大木の根元に疱瘡の跡をもつ女の亡骸が埋葬され、のち疱瘡神として祀られたが、梨の木が枯れたのちに当地に移されたと伝える。

梨木町
なしのきちよう

上京区大宮通一条下ル東側

元大宮もとおおみや通に東面する片側町。

平安京条坊では、左京北辺二坊北西にあたり、里内裏の「一条院」の地(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「なしの木丁」、寛文後期洛中洛外之絵図にも「梨木町」と出る。梨の大樹があったという(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報