日本歴史地名大系 「棚倉城跡」の解説
棚倉城跡
たなぐらじようあと
元和八年(一六二二)棚倉藩に入部し五万石を領した丹羽長重は、寛永元年(一六二四)幕府から築城の命を受け、近津明神(現馬場都々古別神社)の社地に着目、別当高松家と交渉し隠居中の高松良篤を還俗させて藩家老とし、神領一五〇石を安堵することを条件に、同社を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元和八年(一六二二)棚倉藩に入部し五万石を領した丹羽長重は、寛永元年(一六二四)幕府から築城の命を受け、近津明神(現馬場都々古別神社)の社地に着目、別当高松家と交渉し隠居中の高松良篤を還俗させて藩家老とし、神領一五〇石を安堵することを条件に、同社を
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[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...