日本歴史地名大系 「椋橋庄」の解説
椋橋庄
くらはしのしよう
- 大阪府:豊中市
- 椋橋庄
永承三年(一〇四八)藤原頼通が高野山参詣のため
これが椋橋西庄の初見であるが、建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば、椋橋東庄は寛元元年(一二四三)三月四日に近衛家実から兼経に分与されており、その肩書には「京極殿領」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
永承三年(一〇四八)藤原頼通が高野山参詣のため
これが椋橋西庄の初見であるが、建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば、椋橋東庄は寛元元年(一二四三)三月四日に近衛家実から兼経に分与されており、その肩書には「京極殿領」とある。
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