日本歴史地名大系 「椋橋西庄」の解説
椋橋西庄
くらはしにしのしよう
久寿三年(一一五六)頃には椋橋庄住人らが川辺郡内の奈良東大寺領田(猪名庄)に出作していた(同年二月一一日「修理権大夫藤原頼輔下文案」東大寺文書)。応保二年(一一六二)に同寺所司の奏請によって猪名庄の立券が行われたことから(同年五月一日「官宣旨」東南院文書)、椋橋西庄と猪名庄の間で田地の帰属をめぐる相論が引起されている。当庄下司らは猪名庄の下司藤原頼兼が以前はなかった堤を限る絵図を新たに作製して、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報