槻木村(読み)つきのきむら

日本歴史地名大系 「槻木村」の解説

槻木村
つきのきむら

[現在地名]茂木町茂木

藤縄ふじなわ村の東、さか川の右岸に位置し、北は小井戸こいど村。北流する逆川が北部で坂井さかのい川を合せ、東流する。逆川を隔てた北に標高一六五メートルのしろ山がそびえ、村の南には標高一五七メートルの小倉おぐら山がある。藤縄村とともに常陸谷田部藩茂木領の陣屋町を形成し、茂木町と称した。村名は文明一四年(一四八二)一一月日の茂木家臣給分注文(茂木文書)にみえる。

近世を通じほぼ谷田部藩領。元和四年(一六一八)旧茂木氏給人檜山助兵衛が当村庄屋に任命され、細川家家臣となり坂井村で一〇〇石を有した。


槻木村
つきのきむら

[現在地名]山国町槻木

山国川最上流部の山村。東は中摩殿畑なかまどんはた山、西は英彦ひこ山・たか山、北は峠の東にいぬヶ岳と高山に囲まれる。山国川下流は草本くさもと村。小倉藩元和人畜改帳では槻ノ木村とあり、高一四四石余、うち二〇石が惣庄屋知行分で、残りが蔵納分となっており、家数三八(うち惣庄屋一・百姓七・名子一二・牢人一)・人数一二三、牛七・馬六とある。元禄豊前国高帳では高一一四石余で、ツキノキと読みを付している。


槻木村
つきのきむら

[現在地名]昭和町豊川槻木とよかわつきのき

ゆたか川中流の氾濫原に位置し、沖積平野への流出口にある。南は低丘陵地で、西に竜毛りゆうげ村、東に船橋ふなばし村がある。豊川沿いの丘陵には縄文期から古代にかけての連続する居住遺構がある。左岸に縄文中期の鳥巻とりまき遺跡・正戸尻しようどじり遺跡、右岸に槻木盛土墳・大宮おおみや遺跡があり、大宮遺跡からは須恵器が出土する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に槻木村二八八石、新田と記される。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」には家数二六軒、支郷に大宮村四軒、正道尻しようどうじり村六軒、草生沢くそうざわ村四軒、荒屋あらや村四軒、末方沢すえかたざわ村二軒の五ヵ村があり、末方沢村は元禄一四年(一七〇一)久保田大工くぼただいく(現秋田市)与兵衛が開村したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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