日本大百科全書(ニッポニカ) 「横山作次郎」の意味・わかりやすい解説
横山作次郎
よこやまさくじろう
(1863―1912)
明治の柔道家。講道館草創期の功労者の1人。西郷四郎、山下義韶(よしあき)、富田常次郎(つねじろう)とともに四天王に数えられた。東京府豊多摩(とよとま)郡野方(のがた)村(東京都中野区)の農家の次男に生まれ、初め天神真楊(てんしんしんよう)流井上敬太郎の門に学んだが、1886年(明治19)嘉納治五郎(かのうじごろう)の門に入って柔道に専心し、翌年の警視庁武術大会に、久留米(くるめ)出身の良移心当(りょういしんとう)流の中村半助(はんすけ)と1時間の熱闘のすえ引き分け、一躍鬼横山(おによこやま)の異名をとった。88年1月、早くも講道館3段を授与され、98年(明治31)には6段、1904年(明治37)には7段に進んだ。
1905年(明治38)大日本武徳会に、乱取形(らんどりがた)制定委員会が設けられ、嘉納治五郎が委員長になったとき、山下義韶らと委員補としてこれに参加した。払い腰、足払い、横捨身などを得意技(わざ)として駆使し、また酒豪として有名だったが、1912年(大正1)50歳で死去。8段を追贈された。
[渡邉一郎]