横瀬郷(読み)よこぜごう

日本歴史地名大系 「横瀬郷」の解説

横瀬郷
よこぜごう

中世の上野国新田につた庄に含まれ、現深谷市横瀬に比定される。猪俣党横瀬氏名字の地とされ、猪俣党系図(諸家系図纂)によると、猪俣党無動寺某(猪俣時範の孫)の子重政が横瀬弥八郎と称し、横瀬氏の祖となった。文永五年(一二六八)五月三〇日の得川頼有譲状写(正木文書)に「かうつけの国新田庄内とくかわのかう、よこせのかう」などとみえ、新田氏一族の得川頼有は新田庄内得川とくがわ(徳川郷、現群馬県尾島町)・横瀬郷などの重代相伝所領を嫡子に迎えた孫の亀王丸に譲与している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横瀬郷」の意味・わかりやすい解説

横瀬郷
よこせごう

長崎県中部,西彼杵半島北端佐世保湾南岸の小入江にある集落西海市に属する。永禄5 (1562) 年領主大村純忠によってポルトガルとの貿易港が横瀬浦に開かれたが,家臣団反乱によって町を焼き払われ,わずか2年でその機能を失い,ポルトガル船は再び平戸に,そののち福田浦,次いで長崎に入港するようになった。

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