橋津古墳群(読み)はしづこふんぐん

日本歴史地名大系 「橋津古墳群」の解説

橋津古墳群
はしづこふんぐん

[現在地名]羽合町橋津

日本海と東郷とうごう池を隔てるように横たわるうまやま丘陵に分布する古墳群。四世紀代から六世紀代に築造された前方後円墳五基と円墳一七基からなり、馬ノ山古墳群ともよばれる。分布する古墳のうち一号墳から一四号墳までの一四基(前方後円墳五、円墳九)が国指定史跡。古墳は馬ノ山(一〇六・九メートル)山頂から西側に派生する数本の支脈に分布する。そのなかで日本海側の支脈に位置する一群は、山陰地方を代表する一一〇メートル級の四号墳をはじめ、二号墳・五号墳を加えた三基の前方後円墳と三〇メートル級円墳(一号墳)などからなる中核的な存在である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「橋津古墳群」の解説

はしづこふんぐん【橋津古墳群】


鳥取県東伯郡湯梨浜町橋津にある古墳群。日本海と東郷湖の間に位置する標高107mの馬ノ山の丘陵上に、前方後円墳5基と円墳19基が築造されており、馬ノ山古墳群とも呼ばれる。5基の前方後円墳のうち最大のものは4号墳で、全長約100mに及ぶ。この古墳は古墳時代前期(4世紀中ごろ)に築かれたもので、封土は赤土が盛られ、表面には板状のヘギ石を敷き詰め、円筒埴輪(はにわ)が取り囲んでいた。内部には竪穴(たてあな)式石室をはじめ、円筒埴輪棺や箱式棺などの埋葬施設があった。竪穴式石室からは三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)、車輪石、石釧(いしくしろ)、翡翠勾玉(まがたま)や碧玉(へきぎょく)の管玉(くだたま)などの副葬品が多数出土し、2号墳とともに、東伯耆(ひがしほうき)最初期の前方後円墳と考えられている。東郷湖湖畔の丘陵地にはこの古墳だけでなく、北山古墳や狐塚(きつねづか)古墳など大規模古墳が存在し、この地方に君臨した豪族の存在をうかがわせている。1957年(昭和32)に国の史跡に指定された。JR山陰本線倉吉駅から日ノ丸バス「ハワイ海水浴場口」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の橋津古墳群の言及

【馬山古墳群】より

…鳥取県東伯郡羽合(はわい)町橋津の馬山丘陵上にある古墳群。橋津古墳群ともいい,前方後円墳5基,円墳17基からなる。1957年史跡指定。…

※「橋津古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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