橘佐為(読み)たちばなのさい

改訂新版 世界大百科事典 「橘佐為」の意味・わかりやすい解説

橘佐為 (たちばなのさい)
生没年:?-737(天平9)

奈良前期の貴族敏達天皇の孫または曾孫栗隈王の孫,美努王の子。母は橘三千代諸兄の弟。光明皇后と同母の兄弟橘古那可智(こなかち)(聖武天皇夫人)の父。佐為王と称したが,736年(天平8)11月,臣籍に下って母の氏姓を称することを請い,許されて橘宿禰佐為と名のった。737年8月,おりからの天然痘の流行によって死亡した。時に中宮大夫兼右兵衛督正四位下であった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘佐為」の解説

橘佐為 たちばなの-さい

?-737 奈良時代官吏
三野(みのの)王の子。母は県犬養(あがたのいぬかいの)三千代。はじめ佐為王と称した。養老5年皇太子首(おびとの)皇子(聖武(しょうむ)天皇)の教育係となる。天平(てんぴょう)8年兄葛城王(かつらぎおう)(橘諸兄(もろえ))とともに臣籍にくだって橘を名のった。天平9年8月1日天然痘のため死去

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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