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橘古那可智 たちばなの こなかち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

橘古那可智 たちばなの-こなかち

?-759 奈良時代,聖武(しょうむ)天皇の夫人(ぶにん)。
橘佐為(さい)の娘。法隆寺に調度や経典を奉納,東大寺大仏開眼会(え)では宝物を献納した。橘奈良麻呂の変のあと,妹の橘真都賀(まつが)ら同族とともに広岡朝臣の氏姓をさずかった。正二位。天平宝字(てんぴょうほうじ)3年7月5日死去。通称は橘夫人。

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朝日日本歴史人物事典の解説

橘古那可智

没年:天平宝字3.7.5(759.8.2)
生年:生年不詳
8世紀の聖武天皇の夫人。橘夫人とも。橘三千代の孫で佐為の娘。天平9(737)年2月無位から従三位に叙せられており,このころ聖武の夫人になったらしい。天平21年4月正三位から従二位に上ったときには橘夫人とある。橘奈良麻呂の乱の2カ月後の天平宝字1(757)年閏8月,一族と共に橘姓を改めて広岡姓を賜ったが,ときに正二位。聖武との間に子どもはなかったようである。天平14年と18年に法隆寺に調度品や大般若経・薬師経などを施入し,天平勝宝4(752)年の大仏開眼会に刀子・琥碧誦数を献じている。また大和国添上郡の普光寺は,古那可智建立の寺と伝えられており,仏教を篤く信じていたのであろう。

(梅村恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たちばなのこなかち【橘古那可智】

?‐759(天平宝字3)
橘佐為の女。橘三千代を祖母に,橘諸兄を伯父にもつ。聖武天皇の夫人として正二位まで昇った。橘夫人と称し,法隆寺に韓櫃などの調度や経典を施入したり,大仏開眼会でも宝物を献納していることが知られる。757年(天平宝字1)橘奈良麻呂の乱の直後に,妹の橘真都我や同族らとともに広岡朝臣へ改姓された。聖武天皇との間に子どもができなかったらしく伝えられていない。【勝浦 令子】

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