日本大百科全書(ニッポニカ) 「歌舞伎模様」の意味・わかりやすい解説
歌舞伎模様
かぶきもよう
歌舞伎衣装をもとにした模様の総称。江戸時代の衣装の模様には歌舞伎の人気役者から流行したものが多い。当時、役者は演出効果をねらって各人それぞれ衣装に凝り、ひいき客は競ってそれを模倣し、流行のもととなった。そのさまは、元禄(げんろく)5年(1692)版の『女重宝記(おんなちょうほうき)』に「時のはやりもやうは大かた歌舞伎しばゐよりいづる」とあるのをみても、盛況のほどがうかがわれる。
江戸時代に流行した歌舞伎模様のうちからおもなものを取り上げると、次のとおりである。
(1)市松模様 正方形の連続模様。1741年(寛保1)、歌舞伎俳優・佐野川市松が、袴(はかま)にこの模様を使ったのが始まり。
(2)亀蔵(かめぞう)小紋 宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろ、9世市村羽左衛門(うざえもん)が亀蔵時代、所作事の肌ぬぎに着た渦巻模様。
(3)仲蔵(なかぞう)染め 菱(ひし)形に松竹梅をあしらった染め模様。宝暦6年(1756)、初世中村仲蔵が『菅原(すがわら)』で大当りしたとき着ていた衣装の模様。
(4)仲蔵縞(じま) 太い縞の間に人の字を三つずつ横に並べた模様。安永(あんえい)9年(1780)版の『古杉木』巻3に「仲蔵縞の財布に入りたるは疑なき百両包……」とあるから、そのころすでに流行していたものらしい。
(5)芝翫(しかん)縞 四筋と鐶(かん)つなぎとを交互に配した縦縞模様。四筋と鐶の縞なので、四鐶縞というべきところ、3代目中村歌右衛門(うたえもん)の俳号が芝翫であるところから、語呂(ごろ)をあわせて芝翫縞としゃれてよんだもの。
(6)三つ大縞 三津五郎縞ともいう。3世坂東三津五郎が文化(ぶんか)11年(1814)6月、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』で、歌右衛門の芝翫縞に対抗して創作した模様。三筋と大の字つなぎとを交互に並べた模様。
(7)高麗屋(こうらいや)縞 太い縞と細い縞とを交互に並べた格子(こうし)模様。5世松本幸四郎によって流行。今日でも『鈴ヶ森』の幡随院(ばんずいいん)長兵衛が着る合羽(かっぱ)に、この格子が使われている。
(8)三升(みます)つなぎ 市川団十郎の家紋「三升」を連ねた模様。7世の人気によって手拭(てぬぐい)や浴衣(ゆかた)にこの模様が盛んに染められた。
(9)三升格子 三筋格子ともいう。太い三筋と細い三筋を交互に並べた格子。同じく団十郎の三升からきた模様。
(10)かまわぬ模様 判じ絵模様。文化9年(1812)6月、7世団十郎が『散書仇名(ちらしがきあだな)かしく』の大工六三を演じたとき取り上げた模様。
(11)菊五郎格子 4本の筋と5本の筋とを組み合わせた格子のなかに「キ」と「呂(ろ)」の文字を交互に配した模様。「キ」の文字に四筋と五筋を加えた九筋の「ク」、五筋の「ゴ」、「呂」の文字をつけて、「キクゴロ」と読ませる判じ模様。文化・文政(ぶんせい)期(1804~30)の人気役者、3世尾上(おのえ)菊五郎が、7世団十郎の三筋格子の向こうを張って考案した模様。3世菊五郎が文政7年(1824)3月、江戸・中村座上演の『二人新兵衛(ににんしんべえ)』で玉屋新兵衛を演じたとき、この模様の衣装を着ている。
(12)菊寿(きくことぶき) 元来、菊花に寿の文字を散らした染め模様であるが、のちに織物にも用いられ、とくに帯の模様として愛用された。2代目瀬川菊之丞(きくのじょう)の人気にちなんで、明和(めいわ)・天明(てんめい)期(1764~89)に流行した。
[村元雄]