正法寺山荘跡(読み)しようぼうじさんそうあと

日本歴史地名大系 「正法寺山荘跡」の解説

正法寺山荘跡
しようぼうじさんそうあと

[現在地名]関町鷲山 カマエ

小野おの川上流右岸にあり、奇岩のそびえる羽黒はぐろ山を背にした標高一〇五メートルの地に築かれた国人領主関氏の館跡。東・南・北側の三方を小野川の深い谷に囲まれた天険要害である。山荘跡は四五メートルに六〇メートルの土壇を中心に七つの郭をめぐらす。かつて放牧場になっていたこともあり、中央土壇では建物の礎石などが抜取られたりしてはいるが、全体的に遺構の保存状態はよい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「正法寺山荘跡」の解説

しょうぼうじさんそうあと【正法寺山荘跡】


三重県亀山市関町にある山荘跡。鈴鹿(すずか)川の支流、小野川西岸にある標高105mの河岸段丘上に位置し、鎌倉~戦国時代に鈴鹿地方を治めた豪族、関氏一族の宗家である関盛貞(もりさだ)が創建した山荘跡。関氏一族は平家を祖とし、室町時代に鈴鹿川一帯に勢力を伸ばして関氏を名のるようになった、北伊勢随一の土豪だった。永正年間(1504~21年)の初めごろに建立された正法寺が山荘に転用され、1582年(天正10)に関氏が会津に移るまで、その機能を果たしたようである。西側の羽黒山を背に他の三方は小野川によって守られ、北と南は崖、東には土塁が築かれて外側下に曲輪(くるわ)跡と思われる平坦地があって、城塞としての性格もあったようである。発掘調査の結果、4棟の建物跡や礎石、石積みされた排水溝井戸などが発見され、その周囲をめぐる土塁や建物配置などが解明された。また、北宋銭や明銭、釘、瓦、天目(てんもく)茶碗なども出土している。戦国武士の生活を解明するうえで貴重なことから、1981年(昭和56)に国の史跡に指定された。JR関西本線関駅から徒歩約35分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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