日本歴史地名大系 「正蓮寺村」の解説 正蓮寺村しようれんじむら 鳥取県:鳥取市旧法美郡地区正蓮寺村[現在地名]鳥取市正蓮寺面影(おもかげ)山の西、雲(くも)山の南麓に集落を形成する。村名はかつて当地にあった寺院(多聞寺の前身)にちなむという(因幡志)。文政年間(一八一八―三〇)の法美郡全図(県立図書館蔵)によれば桜谷(さくらだに)村・杉崎(すぎざき)村との村境は直線的で、条里の区画に準じたものと考えられる。西は邑美(おうみ)郡雲山(くもやま)村。若桜(わかさ)往来が通る。現在も旧往来に天保五年(一八三四)銘の地蔵坐像があり「右いせ道 左一ノミヤ道」と刻まれている。正保国絵図・正保郷帳には正連寺村と記載されたが、元禄国絵図・元禄郷帳作成にあたって正蓮寺村と改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は三二六石余。藪役銀二匁四分余・宇倍野山役米一斗余を課されており(藩史)、倉吉荒尾分家の荒尾氏のほか、馬淵氏・福原氏の給地があった(給人所付帳)。 正蓮寺村しようれんじむら 石川県:小松市旧能美郡地区正蓮寺村[現在地名]小松市正蓮寺町梯(かけはし)川中流右岸の平地と山地の境にあり、東は原(はら)村、北は中(なか)村、北西は八幡(やわた)村。南の五国寺(ごこうじ)村とは持山が入組んでおり、境界が定かでない。「しょうろじ」とも発音する。正保郷帳に正連寺村とあり高三三二石余、田方九町六反余・畑方九町九反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高二八五石、免四ツ一分、小物成は山役五三三匁・もぢ川役六匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by