武田長兵衛(読み)タケダ チョウベエ

20世紀日本人名事典 「武田長兵衛」の解説

武田 長兵衛(6代目)
タケダ チョウベエ

昭和期の実業家 武田薬品工業会長;大阪商工会議所副会頭。



生年
明治38(1905)年4月29日

没年
昭和55(1980)年9月1日

出生地
大阪府大阪市道修町

別名
幼名=鋭次郎

学歴〔年〕
慶応義塾高等部〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和23年〕,藍綬褒章〔昭和37年〕

経歴
昭和2年家業武田長兵衛商店(現・武田薬品工業)に入社、18年に社長就任、49年から会長。戦後、経営の近代化やビタミン剤アリナミンの開発などで同社を業界最大手に育てたほか、業界、財界活動にも力を入れ、次期大商会頭の候補にもあがっていた。


武田 長兵衛(5代目)
タケダ チョウベエ

明治〜昭和期の実業家 武田薬品工業社長。



生年
明治3年(1870年)

没年
昭和34(1959)年8月4日

出生地
大阪府

別名
幼名=重太郎,後名=和敬

経歴
13歳のときから家業の見習いを始め、使用人と一緒に荷揃えや発送に従事。明治37年、35歳のとき5代目長兵衛を襲名。41歳まで道修町で店員と共に起居。研究の重要なことを見抜き、大正3年には研究部を創設。7年武田製薬株式会社を創立、14年に武田長兵衛の個人営業と武田製薬とを合併させ、株式会社武田長兵衛商店を創立。昭和18年武田薬品工業株式会社と社名変更、同時に隠居し和敬と改名。“儲けよりも病人に効く薬”を第一義の経営理念とした武田薬品中興の祖。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田長兵衛」の解説

武田長兵衛(6代) たけだ-ちょうべえ

1905-1980 昭和時代の実業家。
明治38年4月29日生まれ。5代武田長兵衛の長男。武田長兵衛商店が武田薬品工業と改称された昭和18年に6代目を襲名。以後31年間社長として同社を日本最大の医薬品メーカーにそだて,49年会長となった。関西経済同友会代表幹事。大阪商工会議所副会頭。昭和55年9月1日死去。75歳。大阪出身。慶応義塾高等部卒。本名は鋭太郎。

武田長兵衛(5代) たけだ-ちょうべえ

1870-1959 明治-昭和時代の実業家。
明治3年生まれ。37年家業の薬種商,武田長兵衛商店をつぎ,5代目を襲名。ドイツからの薬品輸入に成功,ついで医薬品の国産化をはかり,大正14年株式会社武田長兵衛商店に改組して社長となる。昭和18年から陸軍軍需医薬品工業会長をつとめた。昭和34年8月4日死去。89歳。大阪出身。本名は和敬(かずのり)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「武田長兵衛」の解説

武田 長兵衛(6代目) (たけだ ちょうべえ)

生年月日:1905年4月29日
昭和時代の実業家
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の武田長兵衛の言及

【武田薬品工業[株]】より

…本社大阪市中央区。初代武田長兵衛が1781年(天明1)に大坂の道修町(どしようまち)堺筋で近江屋長兵衛の屋号で和漢薬の仲買業をしたことに始まる。1871年(明治4)に武田長兵衛商店となり,洋薬の販売も始めた。…

【のれん分け(暖簾分け)】より

…近世の豪商経営をみていくと,この暖簾分け制度が大きな意味をもっているのに気づく。 大坂道修町(どしようまち)の武田(近江屋)長兵衛家(武田薬品工業の前身)の場合,1779年(安永8)に主家である近江屋喜助から屋号,暖簾を使うことを許され,銀2貫目の元銀と秋田方面の販売圏を譲られ,道修町の薬種仲買として独立することができたのである。主家の近江屋喜助も,近江屋一族の宗家太右衛門の別家格であるし,武田も経営が安定してくると次々と暖簾を分けて別家を増やしていった。…

※「武田長兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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