武藤信義(読み)ムトウ ノブヨシ

20世紀日本人名事典 「武藤信義」の解説

武藤 信義
ムトウ ノブヨシ

明治〜昭和期の陸軍大将,元帥,男爵 関東軍司令官。



生年
慶応4年7月15日(1868年)

没年
昭和8(1933)年7月28日

出生地
肥前国(佐賀県)

学歴〔年〕
陸士〔明治25年〕卒,陸大〔明治32年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章

経歴
佐賀藩士の二男に生れる。明治26年歩兵少尉に任官し、日清戦争には歩兵第23連隊小隊長として従軍。陸大を首席で卒業後、37年日露戦争に近衛師団参謀として参戦し、奉天大会戦に参加。大正元年近衛歩兵第4連隊長、8年中将となり参謀本部第1部長、参謀本部総務部長を経て、10年第3師団長としてシベリヤ出兵に赴く。11年参謀次長、ついで軍事参議官、15年陸軍大将・関東軍司令官となる。昭和2年教育総監となり、7年5・15事件で引責辞職。再び軍事参議官を務めたが、同年満洲建国に際し、関東軍司令官兼駐満特命全権大使兼関東州長官として満洲(中国東北部)に赴任。8年元帥の称号を賜わり、勲功により男爵を授けられる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武藤信義」の意味・わかりやすい解説

武藤信義
むとうのぶよし
(1868―1933)

陸軍軍人。慶応(けいおう)4年5月26日佐賀藩に生まれる。1892年(明治25)陸軍士官学校卒業。日清(にっしん)戦争に従軍後、1899年陸軍大学校卒業。ロシア派遣、日露戦争従軍、ロシア公使館付武官などを経て、シベリア出兵の際は各地の特務機関長。1926年(大正15)大将に進み関東軍司令官、1927年(昭和2)から1932年まで教育総監。1932年8月関東軍司令官に再任され、特命全権大使を兼ねて「満州国承認にあたった。翌1933年元帥に進んだが、在任中の同年(昭和8)7月28日病死した。陸軍の佐賀閥の中心であった。

藤原 彰]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤信義」の解説

武藤信義 むとう-のぶよし

1868-1933 明治-昭和時代前期の軍人。
慶応4年7月15日生まれ。大正11年参謀次長,15年関東軍司令官,昭和2年教育総監。7年満州国の建国に際し,ふたたび関東軍司令官として赴任,全権大使,関東長官を兼任した。陸軍大将,元帥。昭和8年7月28日死去。66歳。肥前杵島郡(佐賀県)出身。陸軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「武藤信義」の解説

武藤 信義 (むとう のぶよし)

生年月日:1868年7月15日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。元帥
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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