死せる孔明生ける仲達を走らす
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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死せる孔明、生ける仲達を走らす
生前の威光が死後も残っていて、人々を畏怖させることのたとえ。
[使用例] お孝の妹分と聞いただけで、その向きの客人は一目を置き、三舎を避けて、ただでも稲葉家では後日が、と敬遠すること、死せる孔明活ける仲達を走らすごとし[泉鏡花*日本橋|1914]
[由来] 「三国志・蜀書―諸葛亮伝」の注に引用された、「漢晋春秋」という書物に載せる逸話から。三世紀、三国時代の中国でのこと。蜀という国の宰相、諸葛亮(通称は孔明)は、魏国の将軍、司馬仲達の軍と対陣中に病死しました。そこで、部下たちは、軍をまとめて退却を始めます。これを見た仲達は追撃しようとしましたが、蜀軍が陣形を整えて反撃するようなようすをみせたので、警戒してそれ以上攻撃することができませんでした。そこで、人々は「死せる諸葛、生ける仲達を走らす(諸葛亮はもう死んでいるのに、まだ生きている司馬仲達はこわがって逃げ出した)」と言ったのでした。
〔異形〕死せる諸葛、生ける仲達を走らす。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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死せる孔明、生ける仲達を走らす
二三四年八月、秋風蕭々たる五丈原の陣中で孔明は没した(五四歳)。しかし、死後に残した戦術によって魏の仲達(司馬懿)を逃走させたことから、世の流行ことばとなった。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
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