日本歴史地名大系 「段の城跡」の解説 段の城跡だんのじようあと 富山県:東礪波郡庄川町庄金剛寺村段の城跡[現在地名]庄川町庄庄川の右岸、雄神(おがみ)橋東詰の山上にある。壇(だん)の城とも記される。城の中心部は今も「だん」とよばれる広い平坦地(標高一四〇メートル、比高五〇メートル)で、一面の水田となっている。周囲は東側を除く三方が急斜面となっており、周りに土塁などはない。「三州旧蹟志」には規模は東西五五間・南北四八間とあり、ほぼ現状の広さに近い。ここを主郭とすれば、南東に続く標高一九五メートルの山上は詰の丸として利用されたらしく、八×三七メートル程度の削平地が見出される。 段の城跡だんのしろあと 兵庫県:多可郡中町門前村段の城跡[現在地名]中町門前杉原(すぎはら)川が南下し東に流路を変える所にあり、東の妙見(みようけん)山から南西に派生した尾根上に築かれている。城主は宇野能登守、次いで在田八郎太郎とされる。城は二つに分れ、尾根の頂、標高四八四メートル付近の上段と、尾根の先端、標高二三〇メートルに存在する。上段は岩が露出し、石積みを伴う削平地からなる本丸と、これより下った南城に分れる。南城は空堀・堀切・土橋をもつ。この北側の曲輪で発掘調査が実施され、礎石建物遺構などが検出された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by