水無瀬神社(読み)みなせじんじゃ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「水無瀬神社」の意味・わかりやすい解説

水無瀬神社
みなせじんじゃ

大阪府三島(みしま)郡島本町広瀬に鎮座。水無瀬神宮、水無瀬宮ともいう。旧官幣大社。後鳥羽(ごとば)天皇、順徳(じゅんとく)天皇、土御門(つちみかど)天皇を祀(まつ)る。現社地は、かつて後鳥羽上皇が水無瀬殿を造営した地で、上皇の臨幸も再三に及んだ。上皇は朝廷の権威回復を掲げて挙兵、1221年(承久3)いわゆる承久(じょうきゅう)の乱が起こったが、関東の大軍の前に敗北し、鎌倉幕府は後鳥羽上皇を隠岐(おき)に、順徳上皇を佐渡(さど)に流し、土御門上皇は自らの希望で土佐(のち阿波(あわ))へ配流となった。後鳥羽上皇は京都へ還幸することなく1239年(延応1)2月かの地で崩御したが、その直前に宰相中将水無瀬親成(ちかなり)に御遺書置文(おきぶみ)を与え、後生菩提(ぼだい)を弔うよう指示した。この遺詔に基づいて水無瀬殿の地に御影堂(みえいどう)(当初法華(ほっけ)堂と称していた)を建立(翌仁治(にんじ)元年ころ)したのが、当社の創祀(そうし)である。その後も長く仏式をもって祀られていたが、1873年(明治6)神式に改められ、また同年には順徳上皇、土御門上皇を合祀、1939年(昭和14)官幣大社に昇格した。本殿は江戸初期の寛永(かんえい)年間(1624~44)に京都御所内侍所(ないしどころ)を拝領したもので、1600年(慶長5)建立の拝殿、客殿、社務所および茶亭燈心亭は重文。社宝に後鳥羽天皇画像(伝藤原信実(のぶざね)筆)、後鳥羽天皇宸翰御手印置文(しんかんおていんおきふみ)(いずれも国宝)がある。例祭12月7日。

[平泉隆房]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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