20世紀日本人名事典 「水越松南」の解説
水越 松南
ミズコシ ショウナン
大正・昭和期の日本画家
- 生年
- 明治21(1888)年8月13日
- 没年
- 昭和60(1985)年3月4日
- 出生地
- 兵庫県神戸市
- 本名
- 水越 達也
- 学歴〔年〕
- 京都市立美術工芸学校図案科〔明治43年〕卒,京都市立絵画専門学校〔大正2年〕卒
- 経歴
- 中学校を中退後、日本画家谷口香嶠について風景画を学ぶ。明治43年京都市立美術工芸学校図案科を卒業して京都市立絵画学校に入り、山元春挙や竹内栖鳳・菊池芳文といった関西画壇の著名な画家に師事。大正2年に同卒業後、写実的表現に懐疑的となり、主観的表現を目指して東洋画論を研究、特に富岡鉄斎の画風に私淑した。また、フランスの後期印象派の画にも感化され、次第に独自の南画表現を築き上げていった。10年日本南画院が創立されると、たびたび同院主宰の展覧会に出品し、12年その同人となる。一方で水越南画塾を開いて後進を指導するとともに、日本南画松声会を主宰。昭和5年小室翠雲に随行し、ドイツ政府主催の現代日本画展を視察。帰国後、6年の第10回日本南画院展に出品した「化粧」や11年の第15回同院展における「虎穴図」「游鱗ト雨図」が、アンドレ・マルローやジャン・コクトーらヨーロッパの芸術家の激賞を受けるなど高い評価を受けた。日本南画院解散後は小室の主宰した大東南宗院に参加。戦後はどの会派にも属さず、現代日本美術展や日本国際美術展などに出品を続けた。作品は他に「山峡驟雨」「三戒図」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報