マルロー(読み)まるろー(英語表記)André Malraux

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルロー」の意味・わかりやすい解説

マルロー
まるろー
André Malraux
(1901―1976)

フランスの小説家、思想家。11月3日パリに生まれる。前衛芸術の雰囲気に触れて育ち、アポリネールの影響の色濃い、想像力により現実とは異質な美の世界を造型した幻想的散文『紙の月』(1921)によって文壇にデビューした。しかし1923年訪れたインドシナでクメール遺跡盗掘により投獄されたころから、別のマルロー顕現する。1926年の『西欧誘惑』は、いまや西欧社会は凋落(ちょうらく)し神も人間も死んだという、大戦という大殺戮(さつりく)に立ち会った世代の悲劇的状況の認識を表明したものだが、それに続く、それぞれ中国革命とインドシナの遺跡探検に題材を得た小説『征服者』(1928)と『王道』(1930)は、人生の不条理を熟知したうえで行動に賭(か)けることによって悲劇的状況を脱出しようという、新しい時代の生き方を暗示するものにほかならなかった。とはいえ1933年の『人間の条件』は、行動によって死に抵抗する知識人の群像を描きながら、そこに人間の普遍的価値への信仰を導入することによって、さらに新しいマルローの変貌(へんぼう)を示唆する。それはむろん、1930年代の危機的現実のなかで、彼が1932年以後反ファシズムの闘士として活躍し始めることと無縁ではなかった。以後1939年の独ソ不可侵条約によってコミュニスムと決別するまで、彼は政治参画する西欧知識人の先頭にたち続ける。その間『侮蔑(ぶべつ)の時代』(1935)、『希望』(1937)などの作品により、普遍的価値を擁護する自らの行動を意識化するとともに、現実と拮抗(きっこう)する独自の全体小説をつくりだすのである。

 第二次世界大戦に従軍捕虜となり収容所を脱出したあと、最後の小説『アルテンブルグのくるみの木』(1943)を書き、人間の普遍的価値に支えられた神話的時代への幻滅から、時代を超えて生き続ける原初的なものの発見に至る道程を跡づける。そして1944年レジスタンスに参加、マキ団の指導者として終戦を迎える。戦後のマルローの歩みはドゴールのそれと切り離すことはできない。1945年にドゴール政権の情報相(~1946)に迎えられ、1958~1969年の間ドゴール時代に新設された文化相の椅子(いす)を守り続ける。だが国家として芸術を保護し育成した文化相としてのその輝かしい業績は、『沈黙の声』(1951。邦訳名『東西美術論』)、『神々の変貌』(1957)といった戦後のユニークな芸術論とともに、『アルテンブルグのくるみの木』の予告した、原初的なものの認識に基づく、人間を人間たらしめるものとしての新しい文化の概念に深くかかわっていることを見落としてはならない。小説家マルローは文化の演出家に変貌を遂げ、1976年11月23日パリ郊外クレテーユで生涯を閉じた。その死は国葬をもって弔われた。ほかに作品として独特な自伝『反回想録』(1967)を逸することはできない。

[渡辺一民]

『小松清・松浪信三郎訳『西欧の誘惑』(『世界の大思想Ⅱ 14』所収・1968・河出書房新社)』『渡辺一民著『マルローの変貌』(『神話への反抗』所収・1968・思潮社)』『小松清訳『征服者』(新潮文庫)』『新庄嘉章他訳『新潮世界文学45 マルロー』(1970・新潮社)』『村松剛著『評伝アンドレ・マルロオ』(1972・新潮社)』『竹本忠雄訳『反回想録』全2巻(1977・新潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルロー」の意味・わかりやすい解説

マルロー
Malraux, André

[生]1901.11.3. パリ
[没]1976.11.23. パリ
フランスの作家,政治家。東洋語学校に学ぶ。考古学調査のためインドシナにおもむき,クメール文化遺跡の発掘に従事するとともに,安南および中国の革命運動に参加。その体験と思索をエッセー『西欧の誘惑』 La Tentation de l'Occident (1926) ,小説『征服者』 Les Conquérants (28) ,『王道』 La Voie royale (30) および『人間の条件』 La Condition humaine (33) に著わした。スペイン内乱に際しては共和派の義勇軍航空隊長として戦い,その体験を『希望』L'Espoir (37) に,また第2次世界大戦では負傷して捕虜となり脱走,それを『アルテンブルクの胡桃の木』 Les Noyers de l'Altenburg (43) に,それぞれ作品化した。対独レジスタンスの闘士としても活躍,戦後はドゴール政権下の国務大臣 (文化相など) をつとめた。『沈黙の声』 Les Voix du silence (51) 以下の美術評論でも,独自の思想を展開した。ほかに『反回想録』 Antimémoires (67) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報