水間沾徳(読み)みずま せんとく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水間沾徳」の解説

水間沾徳 みずま-せんとく

1662-1726 江戸時代前期-中期俳人
寛文2年生まれ。江戸の人。福田露言,内藤露沾(ろせん)の門人榎本其角(きかく)と交流し,ともに江戸俳壇を主導した。門下に大高源吾ら赤穂浪士がいた。享保(きょうほう)11年5月30日死去。65歳。姓ははじめ門田。名は友兼。通称は治郎左衛門。別号に沾葉,合歓堂。編著に「俳林一字幽蘭集」,著作に「沾徳随筆」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水間沾徳」の意味・わかりやすい解説

水間沾徳
みずませんとく

[生]寛文1(1661)
[没]享保11(1726).6.30.
江戸時代中期の俳人。本名,友兼。別号,沾葉,合歓堂。江戸の人。内藤露沾の門。点取俳諧を盛んにし,其角没後その洒落風を継ぎ,江戸俳壇の中心となった。門人に赤穂義士大高子葉 (源吾) がいる。編著『一字幽蘭集』 (1692) ,『沾徳随筆』 (1718) ,『余花千二百句』 (21) ,『合歓堂家集』。

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世界大百科事典(旧版)内の水間沾徳の言及

【沾徳】より

…江戸中期の俳人。姓は門田,のち水間。名は治郎左衛門。江戸の人。はじめ沾葉と号し,露言に師事。磐城平(いわきたいら)城主内藤風虎の息露沾から師弟に露・沾の各一字を授かったものという。俳壇への登場は1678年(延宝6)。露沾の寵を得て内藤家に仕え,素堂に兄事して儒学を林家に,歌学を山本春正・清水宗川に学ぶ。風虎没後に同家を去り,1687年に姓号を改めて俳諧宗匠となり,また合歓堂と号す。素堂の仲介で蕉門の其角と親交を結び,其角没後はその洒落風を継承して,過渡期の江戸俳壇を統率する位置に立ち,点者として一世を風靡した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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