永井隆(読み)ながいたかし

百科事典マイペディアの解説

永井隆【ながいたかし】

医学者。島根県生れ。長崎医大卒業,1940年同助教授となり,レントゲン科の責任者。1945年5月ころから放射線障害が現れ始め,8月9日原爆投下で夫人が死亡,自身も放射能による骨髄障害を受けた。闘病生活を送りながら原爆症患者を治療,カトリック信者としての生活記録《長崎の鐘》《この子を残して》などを著す。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

永井隆

1908年、松江市生まれ。助教授を務めていた長崎医科大(現・長崎大)で被爆。妻は爆死した。戦後、原爆症で病床に伏しながら、カトリック信仰をもとに「長崎の鐘」「この子を残して」など多くの著作で世界平和を訴えた。51年死去。

(2011-01-12 朝日新聞 朝刊 広島1 2地方)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永井隆 ながい-たかし

1908-1951 昭和時代の医学者。
明治41年2月3日生まれ。母校長崎医大の物療科部長のとき放射線障害をおう。さらに昭和20年8月9日の原爆で被爆するが,負傷者を救護。21年教授。カトリック教徒として原爆廃止をいのり,病床で「長崎の鐘」「この子を残して」などを口述した。昭和26年5月1日死去。43歳。島根県出身。
【格言など】白ばらの花より香り立つごとくこの身をはなれ昇りゆくらん(辞世)

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