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浦上天主堂 ウラカミテンシュドウ

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

浦上天主堂

1925年に完成し、東洋一を誇ったカトリック教会で、原爆投下の際に全壊した。長崎市の原爆資料保存委員会は廃虚の保存を求めたが、司祭らの再建委員会は撤去を決定。59年に新しい天主堂ができた。崩れた側壁石像の一部は現在、長崎原爆資料館に展示されている。

(2011-08-16 朝日新聞 夕刊 1総合)

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大辞林 第三版の解説

うらかみてんしゅどう【浦上天主堂】

長崎市浦上にあるカトリックの教会堂。1914年(大正3)にほぼ完成。45年(昭和20)原爆投下により焼失。戦後再建。司教座が置かれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浦上天主堂
うらかみてんしゅどう

長崎市本尾町のカトリック教会堂。浦上キリシタンの歴史は迫害の歴史でもある。1790年(寛政2)の浦上一番崩れより、1867年(慶応3)の四番崩れまで4回の迫害を経験した。最後の四番崩れにおいては、浦上全村民3394人が西日本を中心とする20藩にお預けとなり、644人が殉教した。1873年(明治6)信教の自由が認められ、1883人が浦上へ戻った。80年、これらの信徒は、庄屋屋敷跡を買い取り、仮聖堂とした。この屋敷は、1857年(安政4)まで踏絵が行われたつらい思い出の地でもあった。95年フレノ師の設計により石とれんが造りのロマネスク式大聖堂の建築が開始され、その仕事はラゲ師に引き継がれ、信徒たちの大きな努力によって20年後の1914年(大正3)に完成した。45年(昭和20)8月9日原爆により全壊し、2人の神父のほか、浦上教会地区1万2000人の信徒のうち8500人が死亡した。59年再建され、81年には歴史的なローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問が実現した。司教座聖堂。[宮崎賢太郎]
『浜口庄八監修、片岡千鶴子解説『浦上天主堂改装記念誌』(1981・浦上カトリック教会) ▽村松貞次郎・片岡弥吉監修『長崎の天主堂』(1977・技報堂出版)』

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世界大百科事典内の浦上天主堂の言及

【浦上】より

…近世のキリシタン弾圧(浦上崩れ)下にあっても信仰を棄てなかった潜伏キリシタンが,長崎では浦上地域に多かった。再三の迫害に耐えた浦上キリシタンは,信仰の中心,浦上天主堂を30年の歳月を要して1925年完成した。第2次世界大戦中,三菱重工の製鋼所,下請工場が集中していたが,45年8月9日の原爆投下によって浦上は完全に焦土と化し,天主堂も焼失した。…

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