永勝寺(読み)えいしようじ

日本歴史地名大系 「永勝寺」の解説

永勝寺
えいしようじ

[現在地名]久留米市山本町豊田

柳坂山と号し、曹洞宗本尊薬師如来。寛文十年寺社開基や「寛延記」によると天武天皇の勅願によって建立され、天下国家の祈祷として三年に一度の星祭を執行したという。当初は天台宗で三六坊、寺領五〇町ほどを有したと伝える。承久三年(一二二一)九月二八日の高良玉垂宮定額衆注文(御船文書/鎌倉遺文五)に本定額一五口として「柳坂 道性房定(祐) 料一丁 荒木村」「柳坂 蓮実房実琳 料田一丁 荒木」、最勝講十口料田として「柳坂 蓮実房厳琳 料田一丁 垣坂」などがみえ、高良こうら山との関係が知られる。


永勝寺
えいしようじ

[現在地名]吹上町北新宿

元荒川と中山道に挟まれた平地上に位置する。会昌山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。江戸時代には市野川いちのかわ(現東松山市)永福えいふく寺末。開創は天正二年(一五七四)と伝える。開山は南叟玄寿で、寛永一三年(一六三六)の没。開基を伊奈忠次とする。寺伝によれば、古くは境内善勝ぜんしよう寺と号する支院があり、南叟の師と思われる超翁玄越が住していた。超翁は慶長一三年(一六〇八)大井おおい郷内の新田開発に尽力し、田畑合せて六反一八歩のうち下畑五畝一七歩を作人の新左衛門に開発させている(「村田惣平等連署善正寺新田書上」寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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