日本歴史地名大系 「永泉寺跡」の解説 永泉寺跡えいせんじあと 熊本県:熊本市熊本城下東古町懸永泉寺跡[現在地名]熊本市紺屋今町高田原の追廻田畑(こうだばるのおいまわしたばた)の南、新鍛冶屋(しんかじや)町にあった寺で、西は養寿(ようじゆ)院に隣接した。松樹山と号し、真宗東派、本尊は阿弥陀如来。「国誌」によれば、開基の長源は豊前小倉(こくら)の真宗東派西応(さいおう)寺出身。西応寺はのちに西派となり、芸州広島に移ったが、長源は東派を守り小倉に残った。寛永七年(一六三〇)細川忠利の命で新たな西応寺の住職となる。同九年忠利の肥後入国に長源も随伴し、宮内の豆腐(みやうちのとうふ)谷に寺地を賜った。 永泉寺跡ようせんじあと 青森県:南津軽郡尾上町金屋村永泉寺跡[現在地名]尾上町金屋 早稲田金屋(かなや)集落東南の水田にある。文禄二年(一五九三)の創立で金屋山と号し、曹洞宗。開山は中山という(「長勝寺並寺院開山世代調」長勝寺蔵)。弘前城下町形成に際し、慶長一六年(一六一一)から元和元年(一六一五)までの間に寺は弘前へ移転したという(弘前市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by