江ヶ崎村(読み)えがさきむら

日本歴史地名大系 「江ヶ崎村」の解説

江ヶ崎村
えがさきむら

[現在地名]蓮田市江ヶ崎

元荒川左岸の白岡しらおか台地南東端に位置する。西と南は黒浜くろはま村、東から南にかけての開析低地をにつ川が流れる。鎮守久伊豆ひさいず神社境内から同社に納めたとみられる鰐口が出土しており、正和三年(一三一四)三月九日の紀年銘に「檀那江崎(弥)沙弥行蓮」とみえる。寛永五年(一六二八)岩槻藩阿部氏の検地があった(宝暦八年「検地帳」荒綾文化叢書)。田園簿によれば同藩領で、田高四七石余・畑高一五二石余。延宝八年(一六八〇)の家数三五(うち本百姓一九)、人数三〇四、新田の家数五(すべて本百姓)、人数三〇(「岩付領内村名石高家数人数寄帳」吉田家文書)


江ヶ崎村
えがさきむら

[現在地名]旭市江ヶ崎、海上郡海上うなかみ町江ヶ崎

琴田ことだ村の南にある。中世は三崎みさき横根よこね郷に属したとされる。天正一八年(一五九〇)木曾義昌領、慶長六年(一六〇一)頃青山忠成領になったとみられ、同一八年の両氏の旧領書上(外口家文書・岩井家文書)に村名がみえ、高一八〇石余または田畑一九二石余とある。寛永一〇年(一六三三)旗本稲生領となり(「稲生正信加増知行引渡覚書」稲生家文書)、寛文九年(一六六九)幕府領、貞享二年(一六八五)旗本高力領となる。


江ヶ崎村
えがさきむら

[現在地名]鶴見区江ヶ崎町

西南を鶴見川が流れ、東は矢向やこう村、西は小倉おぐら(現川崎市幸区)と接する。正保国絵図に村名がみえる。天正一九年(一五九一)旗本荒川領。同年検地という(風土記稿)。享保二年(一七一七)の田一三町五反余(横浜市史)。鶴見川の治水をめぐって度々争論が起こり、寛延三年(一七五〇)には矢向村など三ヵ村とともに市場いちば村と(「済口証文」添田文書)、安永三年(一七七四)にも市場村などと八ヵ村で鶴見村との出入に加わっている(「済口証文」佐久間文書)


江ヶ崎村
えがさきむら

[現在地名]海上町江ヶ崎、旭市江ヶ崎

高生たかおい村の南西方に位置する。江ヶ崎村は明治二二年(一八八九)の町村制施行に伴い成立した嚶鳴おうめい村のうちとして大字を形成したが、昭和五九年(一九八四)大部分は現旭市に編入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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