江木衷(読み)エギ チュウ

20世紀日本人名事典 「江木衷」の解説

江木 衷
エギ チュウ

明治・大正期の弁護士,法律学者 東京弁護士会会長。



生年
安政5年9月19日(1858年)

没年
大正14(1925)年4月8日

出生地
周防国岩国(山口県)

学歴〔年〕
東京大学法科〔明治17年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治33年〕

経歴
明治17年警視庁に入り、のち司法省農商務省外務省に勤務。24年品川彌二郎内務大臣秘書官。かたわら18年英吉利法律学校(現・中央大学)を創設教鞭を執った。民法典論争では英法派・延期派の代表として磯部四郎らと論争した。26年弁護士を開業、東京弁護士会会長。大正8年臨時法制審議会委員、9年陪審法調査会委員。一方森槐南、本田種竹らと一詩社を設立、「冷灰漫筆」「山窓夜話」などで政治を批判した。妻江木欣々は元新橋芸者で、社交界の名花。著書に「刑法原理」「刑法汎論」「陪審制度論」「国家道徳論」「法律解剖学」「法理学講義」「治罪原論」「民事訴訟法論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「江木衷」の解説

江木衷

没年:大正14.4.8(1925)
生年:安政5.9.19(1858.10.25)
明治大正期の弁護士。山口県出身。父は江木仙左衛門,兄は江木千之。明治17(1884)年東大法学部卒。同郷の伊藤博文知遇を得て官界に入り,明治21~22年井上馨農商務相,24~25年品川弥二郎内相の秘書官などを勤める。18年英吉利法律学校(中央大の前身)設立に参加,『刑法原理』などの教科書を著す。民法典論争には英法派・延期派の代表として,仏法派・断行派の磯部四郎らと論争。26年官を辞して弁護士となり,法制審議会の委員として民法,商法,刑法,刑事訴訟法などの立法に参加。刑法(1907年公布)がイタリア学派の影響下で,裁判官の権限を拡大したことを批判。大逆事件裁判を批判し,暗黒裁判の原因は陪審制がないことだと,陪審法を推進した。

(長尾龍一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江木衷」の解説

江木衷 えぎ-ちゅう

1858-1925 明治-大正時代の官僚,法律家
安政5年9月19日生まれ。江木仙右衛門の次男。江木千之(かずゆき)の弟。江木欣々(きんきん)の夫。警視庁,司法省,外務省などにつとめ,退官後の明治26年弁護士。東京弁護士会会長。英吉利(イギリス)法律学校(現中央大)の創立者のひとり。大正14年4月8日死去。68歳。周防(すおう)(山口県)出身。東京帝大卒。名は「まこと」ともよむ。号は冷灰。著作に「刑法汎論」など。

江木衷 えぎ-まこと

えぎ-ちゅう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「江木衷」の解説

江木 衷 (えぎ ちゅう)

生年月日:1858年9月19日
明治時代;大正時代の法律家。東京弁護士会会長
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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