日本歴史地名大系 「池田町村」の解説
池田町村
いけだまちむら
「親元日記」の寛正六年(一四六五)五月一八日条に、足利幕府が仁科持盛に命じて「御同名堀内七郎殿知行分矢原庄池田郷内堀内事」として、池田郷内の
次いで明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記には、現穂高神社の式年造宮の所役を課された諸郷に交じって「池田庄科 籾八石三斗二升、御幣紙八十二枚半、白米八斗三升二合、手束麻八十三把半、釘八十三半」とあってそれ以後みえており、最も重い課役を課せられていたが、このことにより、両村が穂高神社に従属するに至った事情が解明できて興味深い。
池田町村
いけだまちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報