沢木 興道
サワキ コウドウ
明治〜昭和期の僧侶(曹洞宗),仏教学者 駒沢大学名誉教授。
- 生年
- 明治13(1880)年6月16日
- 没年
- 昭和40(1965)年12月21日
- 出生地
- 三重県津市
- 旧姓(旧名)
- 多田
- 別名
- 号=祖門,幼名=才吉,別名=錯々道人
- 主な受賞名〔年〕
- 熊本県近代文化功労者〔平成9年〕
- 経歴
- 7歳で孤児となり、ちょうちん屋沢木文吉の養子となった。明治29年曹洞宗永平寺に入り、30年熊本県宗心寺の沢田興法について得度、丹波の笛岡凌雲に随身した。日露戦争に従軍し重傷。除隊後の40年浄土真宗高田派の専修寺専門学校に学び、また法隆寺勧学院の佐伯定胤に師事した。大正元年松阪市養泉寺僧堂の単頭となり、のち熊本市大慈寺僧堂講師に就任、第五高等学校学生に参禅を指導。11年熊本市大徹堂に入り、12年万日山に転じ、各地で参禅を指導。昭和10年駒沢大学教授、総持寺後堂職に就いた。その後栃木県大中寺に天暁禅苑を、20年至誠寮、24年紫竹参禅道場を開いた。38年駒沢大学を辞任、名誉教授。生涯住職に就かず“宿なし興道”といわれた。著書に「沢田興道全集」(全19巻・別巻2)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
沢木興道
さわきこうどう
(1880―1965)
明治~昭和期の仏者、曹洞(そうとう)宗の僧。号は祖門。三重県津市に生まれる。幼少に両親を失い、一家離散して沢木家の養子となるも、すこぶる悲惨の時を送る。18歳で出家。日露戦争に二度従軍、重傷を受けた。法隆寺佐伯定胤(さえきじょういん)(1867―1952)に唯識(ゆいしき)学を、また笛岡凌雲(ふえおかりょううん)(1845―1923)・丘宗潭(おかそうたん)(1860―1921)らに永平道元(えいへいどうげん)の宗風を学ぶ。娶(めと)らず、住せず、行雲(こううん)流水、無所得の生涯を徹底的に貫き、正しい袈裟(けさ)の普及と只管打坐(しかんたざ)に全生命を燃焼した。人よんで「宿なし興道」といい、その道場を「移動叢林(そうりん)」と称し、純粋高潔な道風は多くの人を徳化した。提唱を筆録したものに『澤木興道全集』などがある。
[鈴木格禪 2017年7月19日]
『『澤木興道全集』18巻・別巻1(1962~1968/2013・オンデマンド版・大法輪閣)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
沢木興道 さわき-こうどう
1880-1965 明治-昭和時代の僧。
明治13年6月16日生まれ。曹洞(そうとう)宗。明治30年出家。佐伯定胤(じょういん)らに師事。生涯寺をもたず「宿なし興道」とよばれ,道場を移動叢林と称して各地で参禅を指導した。昭和10年駒沢大教授。昭和40年12月21日死去。85歳。三重県出身。旧姓は多田。幼名は才吉。道号は祖門。著作に「参禅学道」「禅に生きる」など。
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沢木 興道 (さわき こうどう)
生年月日:1880年6月16日
明治時代-昭和時代の僧侶(曹洞宗);仏教学者。駒沢大学教授
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報