コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

沢木興道 さわき こうどう

美術人名辞典の解説

沢木興道

仏教学者。三重県生。号は錯々道人永平寺で修行、熊本宗心寺の沢田興法のもとで得度、法隆寺勧学院で佐伯定胤より唯識を学ぶ。全国を行脚し、東京・京都など各地に道場を開いて参禅指導に努めた。生涯住寺を持たず、雲水として通し「宿無し興道」と称された。駒沢大教授。総持寺後堂。昭和40年(1965)寂、85才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沢木興道 さわき-こうどう

1880-1965 明治-昭和時代の僧。
明治13年6月16日生まれ。曹洞(そうとう)宗。明治30年出家。佐伯定胤(じょういん)らに師事。生涯寺をもたず「宿なし興道」とよばれ,道場を移動叢林と称して各地で参禅を指導した。昭和10年駒沢大教授。昭和40年12月21日死去。85歳。三重県出身。旧姓は多田。幼名は才吉。道号は祖門。著作に「参禅学道」「禅に生きる」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沢木興道
さわきこうどう
(1880―1965)

明治~昭和期の仏者、曹洞(そうとう)宗の僧。号は祖門。三重県津市に生まれる。幼少に両親を失い、一家離散して沢木家の養子となるも、すこぶる悲惨の時を送る。18歳で出家。日露戦争に二度従軍、重傷を受けた。法隆寺佐伯定胤(さえきじょういん)に唯識(ゆいしき)学を、また笛岡凌雲(ふえおかりょううん)・丘宗潭(おかそうたん)らに永平道元(えいへいどうげん)の宗風を学ぶ。娶(めと)らず、住せず、行雲(こううん)流水、無所得の生涯を徹底的に貫き、正しい袈裟(けさ)の普及と只管打坐(しかんたざ)に全生命を燃焼した。人よんで「宿なし興道」といい、その道場を「移動叢林(そうりん)」と称し、純粋高潔な道風は多くの人を徳化した。提唱を筆録したものに『澤木興道全集』などがある。[鈴木格禪]
『『澤木興道全集』18巻・別巻1(1962~68・大法輪閣)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

沢木興道の関連キーワード田中 忠雄清谷 閑子弟子丸泰仙清谷閑子昭和時代