河内屋可正(読み)かわちやかしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河内屋可正」の意味・わかりやすい解説

河内屋可正
かわちやかしょう
(1636―1713)

江戸前期から中期にかけての地主豪商河内国石川郡大ヶ塚(だいがつか)村(大阪府南河内郡河南町)の人。酒造業を営み、田畑も多く所持して小作料(米、麦、木綿大豆)を販売して利をあげた。父祖以来の財力のもとで早くから儒仏の学を修め、和歌俳諧(はいかい)を好みまた能楽もよくした。大ヶ塚村庄屋(しょうや)筋の家柄として、村のなかで栄えていた家々が急速に没落していく例を多くみて、家の没落を防ぐにはどうすべきかに関心を寄せ、廃悪修善、修身斉家のための処世訓を中心とした『大ヶ塚来由記』(河内屋可正旧記)を書き残した。その精神は石門(せきもん)心学などにも通ずる商人道徳となっている。

[奈倉哲三]

『野村豊・由井喜太郎編『河内屋可正旧記』(1955・清文堂出版)』『安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』(1974・青木書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河内屋可正」の解説

河内屋可正 かわちや-かしょう

1636-1713 江戸時代前期-中期の商人。
寛永13年生まれ。河内(かわち)(大阪府)石川郡大ケ塚(だいがつか)村の人。酒造業をいとなみ,俳諧(はいかい)や能をたしなんだ。自身の体験,見聞や処世訓をつづった「河内屋可正旧記」は,当時の生活,文化を知る貴重な資料である。正徳(しょうとく)3年5月28日死去。78歳。姓は壺井通称は五兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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