河村黎吉(読み)カワムラ レイキチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河村黎吉」の解説

河村 黎吉
カワムラ レイキチ


職業
俳優

本名
河村 石五郎

生年月日
明治30年 9月1日

出生地
東京市 本所区(東京都 墨田区)

学歴
錦城商業予科卒

経歴
16歳で新派劇一座に参加、大部屋の花柳章太郎、大矢市次郎らと日本橋真砂座や下町を巡演した。大正9年松竹合名会社に入り、「酒中日記」に映画初出演。昭和5、6年は盆栽に凝り映画には出なかった。トーキーになった7年島津保次郎監督の「嵐の中の処女」で脇役出演、「上陸第一歩」、9年「隣の八重ちやん」「せめて今宵を」「その夜の女」などで人気定着。12年島津監督の「朱と緑」、野村芳亭監督の「舞台姿」は戦前の代表作。戦後は22年小津安二郎監督の「長屋紳士録」千葉泰樹監督の「生きた画像」、27年春原政久監督「三等重役」(東宝)では森繁久弥と共に主役を演じヒットした。「続三等重役」出演直前に倒れた。死後、27年度毎日映画コンクールで演技特別賞が贈られた。

受賞
毎日映画コンクール演技特別賞(昭和27年度)

没年月日
昭和27年 12月22日 (1952年)

伝記
松竹大船撮影所前松尾食堂 山本 若菜 著(発行元 中央公論新社 ’00発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「河村黎吉」の解説

河村 黎吉
カワムラ レイキチ

大正・昭和期の俳優



生年
明治30(1897)年9月1日

没年
昭和27(1952)年12月22日

出生地
東京・本所

本名
河村 石五郎

学歴〔年〕
錦城商業予科卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール演技特別賞(昭和27年度)

経歴
16歳で新派劇の一座に参加、大部屋の花柳章太郎、大矢市次郎らと日本橋真砂座や下町を巡演した。大正9年松竹合名会社に入り、「酒中日記」に映画初出演。昭和5、6年は盆栽に凝り映画には出なかった。トーキーになった7年島津保次郎監督の「嵐の中の処女」で脇役出演、「上陸第一歩」、9年「隣の八重ちやん」「せめて今宵を」「その夜の女」などで人気定着。12年島津監督の「朱と緑」、野村芳亭監督の「舞台姿」は戦前の代表作。戦後は22年小津安二郎監督の「長屋紳士録」千葉泰樹監督の「生きた画像」、27年春原政久監督「三等重役」(東宝)では森繁久彌と共に主役を演じヒットした。「続三等重役」出演直前に倒れた。死後、27年度毎日映画コンクールで演技特別賞が贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河村黎吉」の解説

河村黎吉 かわむら-れいきち

1897-1952 大正-昭和時代映画俳優
明治30年9月1日生まれ。大正10年松竹蒲田(かまた)撮影所にはいり,「酒中日記」に初出演。以後,島津保次郎監督らの作品で脇役として活躍。戦後は東宝の「三等重役」に社長役で主演。昭和27年12月22日死去。55歳。東京出身。錦城商業予科卒。本名は石五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「河村黎吉」の解説

河村 黎吉 (かわむら れいきち)

生年月日:1897年9月1日
大正時代;昭和時代の俳優
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android