治田神社(読み)はるたじんじや

日本歴史地名大系 「治田神社」の解説

治田神社
はるたじんじや

[現在地名]明日香村大字岡

おか寺山門の西に鎮座祭神品陀別ほんだわけ天皇・素盞嗚すさのお命・大物主おおものぬし命。「延喜式」神名帳高市たかいち郡の「治田神社鍬靫」とされている(大和志)。旧村社。「五郡神社記」に、

<資料は省略されています>

とあり、「古語拾遺」にみえる大地主神の営田説話を社名起源説話に置換え、治田神社は石川楯が大地主神を祀るために小墾田おはりだ(現明日香村豊浦)建立、もと小治田おはりだ神社と称したとする。「大和志料」もこの小墾田説をとり、治田神社は豊浦とようらにあるべきであると記すが、該当神社は不明。また伴信友「神名帳考証」は治田と小治田を別のものとし、治田神社は「新撰姓氏録」右京皇別にみえる治田連の祖彦坐命を祀ったものとする。

当社は近世に八幡神社と称され、ことに岡寺門前に鎮座することにより崇敬も厚かった。


治田神社
はるたじんじや

現在の治田神社は、稲荷山いなりやま町と桑原くわばらの両方に存在する。稲荷山町の神社の祭神は、治田大神・事代主命・倉稲魂命で、祭は四月一八日と九月一六日である。また桑原の神社の祭神は、保食神・健南方命・八坂斗売命で祭は四月二〇日と九月二五日に行われる。

治田神社の初見は「延喜式」神名帳の中に「治田ハタノ神社」としてみえる。

社伝によれば、桑原の神社を上宮、稲荷山の神社を下宮という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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