法音寺跡(読み)ほうおんじあと

日本歴史地名大系 「法音寺跡」の解説

法音寺跡
ほうおんじあと

[現在地名]甲山町赤屋

こう山の南東山麓にあった真言宗寺院で、「芸藩通志」には寺跡の草庵に観音像を存すと記す。現在、十一面観音と聖観音を観音堂に安置文裁ぶんさい寺が管理する。

正安三年(一三〇一)六月二一日の備後国大田庄桑原方所務和与状(高野山文書)赤屋報恩あかやほうおん寺とあり、領家方紀州高野山の管掌となり、翌年六月二三日の関東下知状(同文書)で承認されている。文明三年(一四七一)六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に「壱貫文 法音寺隆海」とある。天正一三年(一五八五)一〇月一二日の小早川秀包備後国世羅郡赤屋村内打渡坪付(厳島野坂文書)によると、赤屋法音寺の地一町余(分銭五貫文)が厳島神社へ神領として寄進されている。


法音寺跡
ほうおんじあと

京都市北区の大北山おおきたやまにあった寺。「山城名勝志」の法音寺の項に「旧跡在大北山村東側施無畏寺跡南、今西側有草堂号法音寺」とあり、施無畏せむい寺跡の南にあったが、近世には法音寺とよばれる一草堂があるとする。法音寺は、「日本紀略」寛弘五年(一〇〇八)二月一七日条の花山天皇葬送について記した個所に、「今夜、奉華山法皇於紙屋川上法音寺北」とみえる。下って「長興宿禰記」文明七年(一四七五)四月一四日条に、「自今日、於北山鹿苑門外東阿弥陀堂、念仏施行、亦近日彼寺辺、石不動有之」とみえる阿弥陀堂は、法音寺のものと推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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