改訂新版 世界大百科事典 「洞院家」の意味・わかりやすい解説
洞院家 (とういんけ)
藤原氏北家閑院流の西園寺公経の男左大臣実雄(1217-74)を始祖とする堂上公家。実雄の女のうち,佶子は亀山天皇の皇后として後宇多天皇を生んで京極院の院号を受け,愔子は後深草天皇の後宮に入って伏見天皇を生み玄輝門院の院号を受け,季子も伏見天皇の後宮に入って花園天皇を生み顕親門院の院号を受けるなど,大覚寺・持明院両皇統の国母を出したため,実雄をはじめ歴代が大臣に任ぜられる家柄となり,また実雄の男公雄が小倉家を,2代公守の男実明が正親町(おおぎまち)家を起こすなど庶流も分立し,家に多くの典籍を蓄え,博識の人も多く出た。中でも4代公賢(きんかた)は学殖もあり,《皇代暦》《歴代最要鈔》などの著作があり,《拾芥抄》もその著作といわれ,また南北朝初期の重要資料である日記《園太暦》の記主で,北朝の重鎮であった。また6代公定(きんさだ)(1340-99)は諸家の系図を集成した《尊卑分脈》の著者として知られる。しかし9代公数は〈放埒〉の人で,伝来の家記類をことごとく売却し,1476年(文明8)出家してついに家は断絶した。数年後,西園寺実遠が公数の子公連をして家を再興させたが,有名無実に終わった。
執筆者:今江 広道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報