改訂新版 世界大百科事典 「洪命熹」の意味・わかりやすい解説
洪命熹 (こうめいき)
Hong Myǒng-hǔi
生没年:1888-1968
朝鮮の独立運動家,作家。号は碧初。忠清南道生れ。1905年東京に留学したが,日韓併合時,錦山郡守であった父洪範植の自決により中国へ亡命,独立運動に加わり申采浩らと交友。帰国後,19年の三・一独立運動の際には故郷槐山でデモを指導した。20年代に一時社会主義思想に近づいたが,《東亜日報》主筆,《時代日報》社長,五山学校の校長などを歴任,左派民族主義の立場をとった。27年からの新幹会運動の中心となったが,29年検挙,投獄された。その後,李朝時代の義賊を描いた大河小説《林巨正》の執筆に打ち込んだ。解放後,南朝鮮で中間政党を率いたが,48年南北連席会議に参加し,北に残留。共和国副首相,祖国平和統一委員会委員長などを歴任した。
執筆者:水野 直樹
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