浅川 巧
アサカワ タクミ
大正・昭和期の朝鮮古陶磁研究家
- 生年
- 明治23(1890)年
- 没年
- 昭和6(1931)年
- 出身地
- 山梨県高根町
- 学歴〔年〕
- 竜王農林学校卒
- 経歴
- 卒業後、秋田県の営林署に就職。大正3年兄の伯教のあとを追って植民地支配下の朝鮮に渡り、朝鮮総督府に就職。山林課技手となり植林事業を行う傍ら、朝鮮美術工芸品の研究と収集を始める。民芸運動の柳宗悦とも親しくなり、ともに朝鮮民族美術館の創立に尽力。朝鮮美術の研究書も多く著し、「朝鮮の膳」(昭和4年)、「朝鮮陶磁名考」「朝鮮の碗」(以上6年)などがある。平成8年直筆の日記がソウルで発見され、約70年ぶりに故郷の山梨県高根町に里帰りする。同年日記の全文が「浅川巧全集」として出版された。10年その人生を描いたドキュメンタリー番組「韓国人になりたかった日本人―忘憂里の丘に立つ 浅川巧・日韓共生への道」が、日本のテレビ番組として初めて韓国で放映される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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浅川巧 (あさかわたくみ)
生没年:1891-1931(明治24-昭和6)
朝鮮民芸の研究家。山梨県生れ。山梨農林学校卒。1914年朝鮮に渡り,朝鮮総督府林業試験場で養苗実験に従事するかたわら,柳宗悦(むねよし)とともに京城(ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。また,朝鮮民芸を研究し《朝鮮の膳》《朝鮮陶磁名考》を書いた。職場や地域の朝鮮人と親しく交わり,朝鮮および朝鮮人の美点に視線を注いだ。《浅川巧著作集》全1巻(1978)がある。
執筆者:高崎 宗司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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浅川巧 あさかわ-たくみ
1891-1931 大正-昭和時代前期の朝鮮民芸研究家。
明治24年1月15日生まれ。浅川伯教(のりたか)の弟。大正3年から朝鮮総督府林業試験場に勤務し,かたわら朝鮮の陶磁や民具を研究。13年柳宗悦(むねよし)と協力し,朝鮮民族美術館を京城に設立した。昭和6年4月2日朝鮮で死去。41歳。山梨県出身。山梨農林卒。著作に「朝鮮の膳(ぜん)」「朝鮮陶磁名考」など。
【格言など】私は死後も朝鮮に留まる。だから亡骸(なきがら)も朝鮮式に埋葬してほしい(死の間際のことば)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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