浜の市(読み)はまのいち

日本歴史地名大系 「浜の市」の解説

浜の市
はまのいち

[現在地名]大分市浜の市一丁目

生石いくし浜西端のはらい川河口近くで開かれた江戸時代の市。生石浜では古くから柞原ゆすはら八幡宮放生会が行われ、祓川は放生川とも称された(豊後国志)。寛永一一年(一六三四)日根野吉明が府内に入部、放生会の賑いをみて新市を開いたという。開市は同一三年(一二年、一六年説あり)といわれ、放生会の八月一四日を挟んで一一日から七日間開かれた。のちには八月一一日から九月一日に至る二〇日が市日となり(「雉城雑誌」など)、この間城下と東・西のしん町では日用品以外の販売が禁止され、城下商人大部分が浜の市に出店した(「府内藩日記」元禄一四年八月二三日条など)。由原八幡宮の御旅所になる御殿原ごてんばる、御旅所の火王ひのおう(興玉社)東側に釜屋かまや町・うお町・きよう町・穀物こくもつ町・桶屋おけや町・堀川ほりかわ町・町の東西に通ずる七筋が設けられた(「浜の市図」二巻本「大分市史」所収)。町筋の名称は扱う商品によると考えられ、田町は農具、京町は京物を扱い、堀川町堀川に入る他国商品の店であろう(二巻本「大分市史」)

市場の規模は東西・南北各二町、町数は二一(豊府指南)。城下商人のほか他国商人を含む三〇〇軒ほどが小屋掛けし、元禄一一年(一六九八)八月一四日には四万人の人出があったといわれる(府内藩日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「浜の市」の解説

浜の市

大分県大分市、柞原(ゆすはら)八幡宮で毎年9月に行なわれる仲秋祭通称鎌倉時代の放生会が起源

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