放生会(読み)ホウジョウエ

デジタル大辞泉 「放生会」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐え〔ハウジヤウヱ〕【放生会】

供養のために、捕らえた生き物を池や野に放してやる法会殺生戒に基づくもので、奈良時代より行われ、陰暦8月15日の八幡宮祭りに催され、石清水八幡宮のものが有名。 秋》

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精選版 日本国語大辞典 「放生会」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐えハウジャウヱ【放生会】

  1. 〘 名詞 〙 仏語。供養のために、捕らえた魚や鳥などの生物を池や野に放してやる法会。日本では、天武天皇五年(六七六)に諸国に行なわせたともいうが、養老四年(七二〇宇佐八幡宮で行なわれたのが初例らしい。後に、陰暦八月一五日に八幡宮の神事として行なわれるに至った。特に石清水八幡宮の行事が名高い。放生大会。《 季語・秋 》
    1. 放生会〈松亭漫筆〉
      放生会〈松亭漫筆〉
    2. [初出の実例]「合戦之間、多致殺生、宜放生者、諸国放生会始此時矣」(出典:扶桑略記(12C初)養老四年九月)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「放生会」の意味・わかりやすい解説

放生会
ほうじょうえ

仏教の殺生戒(→五戒)の思想に基づいて行なわれる,鳥獣や魚を放つ行事。その功徳は『金光明最勝王経』(→金光明最勝王経音義)などに説かれ,中国の天台宗開祖が行なったと伝えられており,日本では『日本書紀』のなかで,天武天皇5(676)年8月17日条に「諸国に詔(みことのり)して放生せしむ」とあるのが歴史上の初見。各地の寺院のほか,八幡神(→八幡信仰)をまつる神社を中心に行なわれており,大分県宇佐市宇佐神宮や,京都府八幡市石清水八幡宮の放生会はよく知られている。宇佐神宮の放生会は,養老4(720)年に反乱を起こして鎮圧された隼人怨霊をしずめるため,八幡神の託宣により天平16(744)年に始まったと伝えられ,かつては旧暦 8月15日,今日では仲秋祭の名で 10月第2日曜日を中日とする 3日間に行なわれている。石清水八幡宮では,宇佐神宮にならって貞観5(863)年に始まったと伝えられており,石清水祭と呼ばれ,10世紀以降勅使が奉幣する勅祭(→勅祭社)として重んじられた。こちらもかつては旧暦 8月15日の祭りであったが,今日では毎年 9月15日に行なわれている。

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改訂新版 世界大百科事典 「放生会」の意味・わかりやすい解説

放生会 (ほうじょうえ)

捕獲された鳥類魚類を山野池沼に解放する仏会。《梵網経》《金光明経》に放生は作善の一つとあり,中国においても放生の法会が行われたが,なかでも著名なのは,759年(乾元2)に唐の粛宗が81ヵ所の放生池(ほうじようち)を設け,顔真卿が碑文を作ったことである。日本でも仏教の流布とともに殺生禁断と放生の思想が高まり,676年(天武5)諸国に放生を行わせたのが初見で,689年(持統3)に摂津国武庫海(むこのうみ),紀伊国那耆野(なきの),伊賀国伊賀郡に特定の地区を設けて殺生禁断の所と定め,697年(文武1)には毎年諸国で放生を行わせることにした。ことに720年(養老4)に九州の隼人の反乱を鎮圧したあと,宇佐八幡宮で放生をし,石清水(いわしみず)八幡宮が山城国に勧請されてのち,863年(貞観5)からは毎年8月15日に行われるにいたった(石清水祭)。同宮の放生会はのちには勅会となり著名であるが,すでに759年(天平宝字3)6月に唐僧で律僧の曇静が奏して,諸国に放生池が造られ,放生田を設けて,その収穫した米で魚を買い取り放魚したという。東大寺の鏡池は八幡池といわれ,ときに今日でも放生が行われ,四天王寺にも聖霊院の後方に放生池があった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「放生会」の意味・わかりやすい解説

放生会
ほうじょうえ

仏教の不殺生(ふせっしょう)、不食肉の戒めに基づき、鳥魚などを野や海などに放って命を救う法会(ほうえ)。『梵網経(ぼんもうきょう)』に、生類は人間の前世の父母かもしれないから、その命を救い、教えて仏道を完成させてやるべきだといい、『金光明経(こんこうみょうきょう)』には、釈迦(しゃか)が前世で流水長者であったとき、流れを止められ死にそうな魚のために、20頭の大象に水を運ばせこれを注いで命を救い、忉利天(とうりてん)に生まれさせたなどと、大乗仏典に放生を勧めている。中国南北朝時代末の天台智顗(ちぎ)が放生池をつくり殺生を止めた話は有名である。日本では578年(敏達天皇7)の放生以来、為政者や権門が放生会を営み、あるいは一般でも慈悲(じひ)行、災いの回避を目的として放生が行われた。石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、宇佐八幡宮の放生会は、戦乱で死者を出した罪の償いとして始められた歴史がある。また、叡尊(えいぞん)が宇治平等院で、漁民に菩薩戒(ぼさつかい)を授け、放生院を再建し、宇治川などに殺生禁断の場所を設けたことなどはよく知られている。

[木内曉央]


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百科事典マイペディア 「放生会」の意味・わかりやすい解説

放生会【ほうじょうえ】

殺生を戒める仏教の教えにより,魚鳥など生きものを放って肉食や殺生を戒める儀式。慈悲の実践を意味する。日本では旧8月15日に行われた京都の石清水八幡宮の放生会が有名で,宮中節会に準じた。
→関連項目祭日流鏑馬

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「放生会」の解説

放生会
ほうじょうえ

捕らえた虫・魚・動物などの生き物を解き放って自由にする法会。殺生や肉食を戒める慈悲の実践として,ふつう陰暦の8月15日に行われる。その趣旨や因縁は「梵網経」「金光明最勝王経」ほかの諸経典にみられる。とくに京都石清水(いわしみず)八幡宮,鎌倉鶴岡八幡宮のものが有名。石清水で隼人(はやと)征伐の滅罪のために始まったという。鶴岡のものは,石清水をまねて1187年(文治3)に始まり,石清水放生会にはない流鏑馬(やぶさめ)儀礼が特色。

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事典・日本の観光資源 「放生会」の解説

放生会

(福岡県福岡市東区)
福岡県文化百選 祭り・行事編」指定の観光名所。

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デジタル大辞泉プラス 「放生会」の解説

放生会(ほうじょうえ)

古典落語の演目のひとつ。「後生鰻」の別題。上方では「淀川」と題する。オチは仕込みオチ。主な登場人物は、隠居。

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世界大百科事典(旧版)内の放生会の言及

【水陸会】より

…実際の流行は宋代以後で,近代には浄土教や密教と混じて種々の儀軌や賛文がつくられ,一種の民俗行事となった。日本では,別の起源をもつ施餓飢会や,水中に魚をかえす放生会が流行し,水陸会の記録はないが,その功徳によって,先亡の追善をねがう意は同じである。【柳田 聖山】。…

【動物供養】より

…鳥獣虫魚にも霊魂があると考え,これらを殺生捕獲した者がその霊を慰めようとして,神道もしくは仏教の儀礼によって供養を営むこと。古くは八幡宮において魚鳥を放って殺生の罪を謝した放生会(ほうじようえ)なども,神慮をなぐさめるとはいいながら直接には殺されないですむ魚鳥を喜ばせ,これによって供養する者が心を安んじるのが目的であった。現代では牛馬の屠場業者,魚市場や養鶏業の関係者など生肉,卵,鮮魚などを取り扱う人々が,この種の動物霊の供養を年々の行事として挙行する場合が多く,捕鯨・狩猟関係の人々も仲間ごとに供養碑などの建立を行っている。…

【法会】より

…《三宝絵詞》には奈良,京都の寺々の代表的な法会が収められ,10世紀ころの仏事の盛行がうかがわれる。釈迦の慈悲の実現を具現化した窮民救済の文殊会や,生類の解放を示した放生会も,その法要の形式は失われたが,仏教界では今日に伝わっている。【堀池 春峰】。…

【放生池】より

…唐代の759年(乾元2)粛宗が長江(揚子江)沿岸の州県城に放生池81所を設け,顔真卿がそれに関する碑銘を書いた。宋代,杭州西湖の三潭印月の周囲を放生池とし,仏生日に供養の放生会を催したことは有名である。日本では持統天皇が摂津等の地に放生池を設けたことが知られる。…

※「放生会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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