林子平がロシア勢力南下の情勢を踏まえて,対外的防備策を論じた兵書。全16巻。1787年(天明7)に第1巻を自力で板刻・出版し,91年(寛政3)に全巻の出版を終えた。表題の〈海国〉とは,子平が国防的観点からとらえた,日本の地理的特質にほかならない。子平は本書の中で,海国にはそれにふさわしい軍備を要するとして,海軍を設立し,全国の海岸に砲台を設置することを緊急課題にあげる。なかでも彼が重視したのは日本の中枢部というべき江戸沿海の防備で,江戸湾頭に有力諸侯の配置を提案するが,江戸湾防備の緊急性を説いたのは,彼が最初である。そのほか国防の充実は必然的に権力の集中化をもたらすことを西洋諸国を例に論じ,あるいは西洋諸国の軍事力の根底に対外貿易による富力があることを指摘するなど,創見が少なくない。それらの議論は未熟であるが,海防論の含む問題点は本書においてほぼ提起され尽くしたといえる。《林子平全集》に所収。
→海防論
執筆者:佐藤 昌介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期、林子平(しへい)の著した兵書、国防書。全16巻。1777年(安永6)起稿、86年(天明6)脱稿。88年より91年(寛政3)にかけて自費刊行。当時ロシアが千島、北海道に南進したことに危機感を抱き、警告せんとして書かれた。荻生徂徠(おぎゅうそらい)の兵書『鈐録(けんろく)』の影響もあり、第14~16巻では武士土着論・富国策もあるが、全般として国内戦の勝利よりも、対外戦の備えを論じた。「江戸の日本橋より唐・阿蘭陀迄(オランダまで)、境なしの水路なり」と説き、日本は海国であるため水戦を重んずべきこと、大船を建造して大銃(おおづつ)を備うべきことを説いた。91年末、みだりに国防を論じた罪で幕府に召喚され、翌年5月蟄居(ちっきょ)処分となり、板木は没収された。翌年ロシア使節の根室(ねむろ)来航を機に、本書は広く伝写され、海防の論議高まるにつれ尊皇攘夷(じょうい)の志士を刺激した。『林子平全集』「岩波文庫」に所収。
[塚谷晃弘]
『学蔵会編『林子平全集』全3巻(1943~46・生活社)』
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国防を目標とした兵書。16巻。林子平(しへい)著。1786年(天明6)成立,翌年工藤平助の序をつけて第1巻を刊行,91年(寛政3)全巻刊。地続きの隣国をもたない「海国」日本には,それにふさわしい国防がなければならないというのが基本的な立場で,第1巻ではオランダ船の装備や構造の紹介とともに,洋式軍艦を建造し海軍を充実させるよう説き,大砲を改善し沿海に配備すべきことを提言。とくに江戸湾の防備が急務であると指摘する。第2巻以下は従来の兵書の内容をでないが,本書の刊行により著者林子平は処罰され,本書も92年幕府により絶版とされたが,のち解除され再刻。「岩波文庫」「林子平全集」所収。
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…こうした水戸学の成立は,内外にたいする深刻な危機感が,徳川体制の中枢にまで浸透したことを示すものといえよう。
[軍備充実の重視]
開鎖の議論と密接に関連して,軍備充実論が展開されるが,これを創唱したのは林子平の《海国兵談》(1786稿)である。日本は海国で,水路は世界に通じているから,その軍備は外寇に備えるものであるべきで,その要は水軍と大砲にあるとして,彼は洋式に倣って大船と大砲を充実するよう強調した。…
※「海国兵談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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