佐藤 昌介
サトウ ショウスケ
明治〜昭和期の農政経済学者 北海道帝国大学総長。
- 生年
- 安政3年11月24日(1856年)
- 没年
- 昭和14(1939)年6月5日
- 出生地
- 陸中国花巻(岩手県花巻市)
- 学歴〔年〕
- 札幌農学校〔明治13年〕卒,ジョンズ・ホプキンズ大学
- 学位〔年〕
- 農学博士
- 経歴
- 戊辰の役に少年鼓手で従軍。明治4年上京、大学南校、東京英語学校に学び、9年札幌農学校1期生となる。クラーク博士の影響を受けキリスト教に入信。卒業後ジョンズ・ホプキンズ大学で農政学を専攻、19年帰国、札幌農学校教授となり、学長、総長を歴任。昭和5年の引退まで約50年間務め、北大育ての親といわれた。退官後北大名誉教授、北海道農会長、八紘学院総裁を務めた。11年には米国で開かれたロータリー・クラブ世界大会に出席。男爵。著書に「米国田政史」(英文)、「世界農業史論」(共著)がある。
佐藤 昌介
サトウ ショウスケ
昭和期の歴史学者 東北大学名誉教授。
- 生年
- 大正7(1918)年1月24日
- 没年
- 平成9(1997)年5月16日
- 出生地
- 北海道
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学文学部国史学科〔昭和18年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士(東北大学)〔昭和37年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 勲三等旭日中綬章〔平成3年〕
- 経歴
- 昭和21年仙台工専教授、25年東北大学講師、33年助教授、39年教授を歴任。56年退官して名誉教授となり、東北福祉大学教授を務めた。著書に「洋学史研究序説」「洋学史の研究」「渡辺崋山」「高野長英」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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佐藤昌介
さとうしょうすけ
(1856―1939)
農業経済学者。北海道帝国大学初代総長。南部藩士佐藤昌蔵(しょうぞう)の長男として陸奥(むつ)国(岩手県)花巻(はなまき)に生まれる。幼名謙太郎。父昌蔵はのちに代議士として活躍したキリスト者であった。1876年(明治9)札幌農学校1期生として入学、教頭クラークから学問的、宗教的な薫陶を受けメソジスト教会に所属。卒業後開拓使御用掛に奉職、83年アメリカに留学、農政学を専攻する。帰国後、札幌農学校教授、校長を経て、1918年(大正7)北海道帝国大学初代総長となり、30年(昭和5)退任。札幌農学校の廃校論や財政的危機と闘いながら同校の発展に尽力、「北大育ての親」といわれる。著書に『世界農業史』などがある。1899年創立の北海道農会の初代会長、また北海道庁に種々の献策を行った。
[船津 功]
『中島九郎著『佐藤昌介』(1966・川崎書店新社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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佐藤昌介 さとう-しょうすけ
1856-1939 明治-昭和時代前期の農業経済学者。
安政3年11月24日生まれ。佐藤昌蔵の長男。札幌農学校1期生としてクラークの教えをうける。アメリカに留学後,札幌農学校教授,校長などをへて,大正7年北海道帝大初代学長。「北大育ての親」といわれる。昭和14年6月5日死去。84歳。陸奥(むつ)花巻(岩手県)出身。著作に「世界農業史論」(共著)など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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佐藤 昌介 (さとう しょうすけ)
生年月日:1856年11月14日
明治時代-昭和時代の農政経済学者。東北帝国大学教授;北海道帝国大学総長
1939年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の佐藤昌介の言及
【大農論】より
…具体的には広大な未開発地を有する北海道を管轄する[開拓使]の農事試験機関や札幌農学校などで実験や教育が行われた。この主張が現実に社会的な意味をもつにいたったのは,1880年代後半から90年代にかけてであり,1886年に北海道を視察した井上馨やマックス・フェスカがこれを主張したこと,88年札幌農学校教授佐藤昌介が《大農論》を著したことなどがそのきっかけとなった。佐藤は北海道においては30~60町歩の規模をもつ粗放経営が適当であるとした。…
※「佐藤昌介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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