日本大百科全書(ニッポニカ) 「海底炭田」の意味・わかりやすい解説
海底炭田
かいていたんでん
現在では海底である地域も、古い地質年代(中生代または新生代第三紀など)の時代には陸地であって樹木が繁茂していたころがあった。これら樹木が石炭になり、陸地も沈下して海底炭田となった。外国には海底炭田の例が少なく、いまのところ海底までも探査はしていない。しかし、日本は島国のため大陸棚(だな)の各所に海底炭田がある。おもなものでは、北海道釧路(くしろ)沖(旧太平洋炭礦)、茨城県高萩(たかはぎ)沖(旧高萩炭鉱)、山口県宇部(うべ)沖(旧宇部興産東見初(ひがしみそめ)炭鉱など)、福岡県響灘(ひびきなだ)(未開発)、長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島西方(旧三菱(みつびし)高島炭鉱、旧松島池島炭鉱)、福岡県有明(ありあけ)海(旧三井三池炭鉱)などがある。1967年(昭和42)以来、日本では、内陸の諸炭鉱が可採炭量の枯渇、深部化による採掘費上昇などのため経営不振に陥り次々と閉山し、かつては国内炭年産5000万トンの生産量が1975年には2000万トン以下に、1995年(平成7)以降は700万トン以下となった。これに対して、海底には豊富な埋蔵量があり、産出炭は陸上輸送の必要がなく、その場で船積みができるなどの経済的有利性があった。しかし、海底炭田開発の基地となる坑口は海岸または島などになければならないため、適当な海上基地のない所では、採掘場が年々遠くなり、通気、運搬などに不利となる点もあった。三池炭鉱(1997年閉山)のように人工島をつくってしのいでいた所もあるが、それは特殊な例にすぎない。海底炭は国内炭の生産を支えてきたが、海外からの安価な輸入炭に押されて炭鉱の経営が厳しくなり、2002年の太平洋炭礦の閉山を最後に海底炭鉱はすべて姿を消した。
[磯部俊郎]