日本歴史地名大系 「三池炭鉱」の解説
三池炭鉱
みいけたんこう
〔近世〕
〔明治・大正期〕
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
福岡県大牟田市・熊本県荒尾市などにあった三井鉱山経営の日本最大の炭鉱。伝承では三池炭の発見は文明期(1469~87)。享保期(1716~36)に柳河藩,嘉永期(1848~54)に三池藩が開坑したが,両者の鉱区争いが生じ,1873年(明治6)官有となる。外国人技師ポッターらの指導で洋式炭鉱として発展,89年三井に払い下げられ,三井鉱山の経営で日本最大の炭鉱に成長した。当初は囚人労働を活用,第2次大戦中には大牟田石炭コンビナートが形成された。1951年(昭和26)海底採掘のため人口島の初島を竣工。59~60年三井三池争議が発生,総資本と総労働の対決といわれたが,三池労組が分裂して組合側が敗北した。63年三川鉱爆発事故発生。73年三井石炭鉱業に経営を移管。最高出炭は70年度の657万トンである。97年(平成9)3月廃鉱。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…1469年(文明1)に石炭が発見され,1790年(寛政2)から三池藩が炭鉱を直営したが出炭は少なく,長く農漁村であった。1873年(明治6)炭鉱は官営となり採炭が強化されて炭鉱町が発達し,88年三井に払い下げられてから日本一の三池炭鉱として発展するとともに,機械,コークス,化学,亜鉛精錬など石炭関連の諸工業がおこり,1930年代には石炭化学コンビナートを形成した。50年代から〈エネルギー革命〉の影響を強く受け,60年の三池争議がおこった。…
… 災害の度数はあまり高くないが,いったん起きた場合とくに重大災害となるおそれのあるのはガス・炭塵爆発,ガス突出である。1963年11月に起こった三池炭鉱の爆発では死者458人を含む死傷者合計1175人を出し,また81年10月には夕張新炭鉱でガス突出および二次災害(ガス爆発)が発生し死者93人,重軽傷者39人の罹災者を生じた。このように多くの死傷者が出た場合には,鉱山変災という言葉を使うことがある。…
… 炭鉱の由来に関する伝説も各地に残されている。1469年(文明1),筑後国(福岡県)三池郡稲荷(いなり)村の稲荷山で,農夫がたき火をした際,かたわらの黒石に燃え移ったのを見て石炭を発見し,これが三池炭鉱の由来になったという。筑豊地方の石炭の採掘は元禄年間(1688‐1704)に始まり,初めは薪炭の補助として使われたが,悪臭が強く,あまり普及しなかった。…
…とくに炭鉱開発の科学的設計,蒸気力利用の排水機,巻上機の設置によって大規模炭鉱の開発が可能になった。炭鉱の近代化は幕末・維新期の佐賀藩とイギリス人T.B.グラバーとの共同経営下の高島炭鉱に始まり,ついで1870年代後半から官営三池炭鉱で推進され,80年代後半の企業勃興期からは筑豊炭田をはじめとして広範に展開され,90年代末には日本において近代的炭鉱業が確立した。採炭過程は依然として手労働に依存しており,鉱夫管理のために納屋制度,飯場制度などの間接管理体制が広く採用されていた。…
…現在稼行中の炭鉱はない。【大橋 脩作】
[三池炭鉱]
福岡県大牟田市を中心に所在する日本最大の炭鉱。三池の石炭は1469年(文明1)ころ稲荷山(とうかやま)で発見されたのが最初と伝えられているが,開発は江戸時代中期以降のことで,三池藩が稲荷山を経営し,さらに嘉永年間(1848‐54)に生山(いけやま)を開坑し,柳河藩は享保年間(1716‐36)に平野山を開坑した。…
…4代鑑任(あきたか)は銀札を発行し,櫨(はぜ)運上金の制度を設け,家老小野春信は1721年(享保6)三池郡平野山に炭坑を開いた。これが三池炭鉱の創始といわれる。享保の飢饉以降藩財政は窮乏したが倹約令や藩札発行をみる程度で,積極的な藩政改革は行われていない。…
※「三池炭鉱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新