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清原真衡 きよはらの さねひら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原真衡 きよはらの-さねひら

?-1083 平安時代中期-後期の豪族。
清原武貞(たけさだ)の長男。陸奥(むつ)奥六郡(岩手県),出羽(でわ)山北(せんぼく)(秋田県)を領有し,清原氏の最盛期をきずく。その独裁体制をめぐり一族の長老吉彦秀武(きみこの-ひでたけ)らと対立,永保3年秀武は真衡の異母弟藤原清衡(きよひら)・清原家衡(いえひら)をさそって挙兵した(後三年の役のはじまり)。真衡は陸奥守源義家の援軍をえたが,同年病いのため陣中で急死。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

清原真衡

没年:永保3(1083)
生年:生年不詳
平安後期の東北地方の豪族。父は武貞。前九年の役(1051~62)で源頼義を助けて安倍氏を滅ぼした祖父(鎮守府将軍武則),父のあとをうけ陸奥の奥六郡(岩手県)と出羽の仙北(秋田県)の地を領有し,清原氏の全盛期を築いた。しかし,独裁体制で一族の支配を強化したため,内部の対立を深めることとなった。特に前九年の役の功労者で老臣の吉彦秀武と対立し,一族の家衡,清衡を誘って兵を挙げた(後三年の役,1083~87)。これには陸奥守源義家の援軍も得たが,急病により陣中で頓死した。

(朧谷寿)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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