日本歴史地名大系 「清源寺跡」の解説
清源寺跡
せいげんじあと
貞和五年(一三四九)二月八日、壱岐守輔重は自身菩提のために重代相伝の私領の「東限火神木堀長福寺」「西限堀底」「南限大道」「北限田之岸」の地を当寺敷地として寄進(「壱岐守輔重寄進状」清源寺文書)、正平九年には四至から同一地と推定される地を菊池武尚が敷地として寄進している(同年四月四日「菊池武尚寄進状」同文書)。
清源寺跡
せいげんじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報