湛智(読み)たんち

朝日日本歴史人物事典 「湛智」の解説

湛智

没年嘉禎3?(1237)
生年:長寛1(1163)
平安末期・鎌倉前期の天台宗声明家。字は蓮入房。家寛の弟子智俊の門下最古の声明理論書ともいえる天福1(1233)年の『声明用心集』は湛智の編述とされるが,承久1(1219)年から湛智が記し残した覚え書の類を,弟子の宗快が弘長1(1261)年になって抄出しまとめた部分が含まれ,まだ完本はみつかっていない。雅楽の楽理にも通じ,声明に関する旋法拍子・楽曲構成などの理論によって声明の改革を試みた。古風な唱法を守ろうとする同門の浄心と,声明の正統性や理論をめぐって激しく対立したという。守旧派の浄心と改革派の湛智のそれぞれを擁護する資料も残されている。湛智派と浄心派はしばらく競合したが,やがて浄心派は廃れた。

(高橋美都)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湛智」の意味・わかりやすい解説

湛智
たんち

[生]長寛1(1163)
[没]嘉禎3(1237)
平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の声明 (しょうみょう) 家。号は蓮入房。理論家として秀で,当時の声明を整理して旋法や拍子などを規定し,今日の天台声明の理論的な基礎を築いた。浄心とともに智俊上人に学んだが,進歩派 (新流) と保守派 (古流) として対立し,湛智の新流がすぐれた門下を得て今日に伝わった。著書『声明目録』 (1224) ,『声明用心集』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湛智」の解説

湛智 たんち

1163-1237? 平安後期-鎌倉時代の僧。
長寛元年生まれ。天台宗。山城(京都府)大原来迎(らいごう)院にすむ。天福元年天台声明(しょうみょう)の理論書「声明用心集」をあらわす。また雅楽の理論をとりいれて声明の改革をすすめ,浄心の古流に対し新流とよばれた。嘉禎(かてい)3年?死去。75歳?号は蓮入房。著作はほかに「声明目録」など。

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