朝日日本歴史人物事典 「湛智」の解説
湛智
生年:長寛1(1163)
平安末期・鎌倉前期の天台宗の声明家。字は蓮入房。家寛の弟子智俊の門下。最古の声明理論書ともいえる天福1(1233)年の『声明用心集』は湛智の編述とされるが,承久1(1219)年から湛智が記し残した覚え書の類を,弟子の宗快が弘長1(1261)年になって抄出しまとめた部分が含まれ,まだ完本はみつかっていない。雅楽の楽理にも通じ,声明に関する旋法・拍子・楽曲構成などの理論によって声明の改革を試みた。古風な唱法を守ろうとする同門の浄心と,声明の正統性や理論をめぐって激しく対立したという。守旧派の浄心と改革派の湛智のそれぞれを擁護する資料も残されている。湛智派と浄心派はしばらく競合したが,やがて浄心派は廃れた。
(高橋美都)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報