湯沢三千男(読み)ゆざわみちお

共同通信ニュース用語解説 「湯沢三千男」の解説

湯沢三千男

湯沢三千男ゆざわ・みちお 1888~1963年。大正昭和時代内務官僚政治家栃木県出身。東京帝国大から内務省に入り、社会局労働部長を経て宮城広島兵庫県知事を務める。36年に内務次官を務めた後、41年の東条内閣発足で内務次官に再び就任。42年に内務相に昇格したが、43年に更迭された。戦後公職追放されたが、59~63年、栃木選出の参院議員を務めた。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「湯沢三千男」の解説

湯沢 三千男
ユザワ ミチオ


肩書
参院議員(自民党),貴院議員(勅選),内相

生年月日
明治21年5月20日

出生地
栃木県

学歴
東京帝大法科大学経済科〔明治45年〕卒

経歴
明治45年内務省に入り、社会保険、労働各部長、宮城県知事、内務省土木局長、広島・兵庫各県知事、内務次官などを経て、昭和17年東条英機内閣の内相。18〜21年勅選貴院議員。また対満事務局、企画院各参与、翼賛会総務、大日本産業報告会理事長などを務めた。戦後公職追放、解除後29年中央社会保険医療協議会会長などを務め、34年栃木地方区から参院議員に当選、参院予算委員長、自民党総務などを歴任した。

没年月日
昭和38年2月21日

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20世紀日本人名事典 「湯沢三千男」の解説

湯沢 三千男
ユザワ ミチオ

大正・昭和期の官僚,政治家 参院議員(自民党);貴院議員(勅選);内相。



生年
明治21(1888)年5月20日

没年
昭和38(1963)年2月21日

出生地
栃木県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学経済科〔明治45年〕卒

経歴
明治45年内務省に入り、社会保険、労働各部長、宮城県知事、内務省土木局長、広島・兵庫各県知事、内務次官などを経て、昭和17年東条英機内閣の内相。18〜21年勅選貴院議員。また対満事務局、企画院各参与、翼賛会総務、大日本産業報告会理事長などを務めた。戦後公職追放、解除後29年中央社会保険医療協議会会長などを務め、34年栃木地方区から参院議員に当選、参院予算委員長、自民党総務などを歴任した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯沢三千男」の意味・わかりやすい解説

湯沢三千男
ゆざわみちお

[生]1888.5.20. 栃木
[没]1963.2.21. 東京
昭和期の官僚,政治家。東京帝国大学卒業後内務省に入り,広島県知事,兵庫県知事,内務次官を歴任,内務官僚のエリートとして 1942年東条英機内閣の内務大臣に就任した。企画院参与,総力戦研究所参与,さらには大日本産業報国会理事長をつとめるなど太平洋戦争指導にあたった。第2次世界大戦後公職追放となり,59年参議院議員として政界に復帰した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯沢三千男」の解説

湯沢三千男 ゆざわ-みちお

1888-1963 大正-昭和時代の官僚,政治家。
明治21年5月20日生まれ。内務省にはいり,衛生局保健課長,社会局保険部長などをへて,宮城,広島,兵庫の県知事,内務次官をつとめる。昭和17年東条内閣の内相。18年貴族院議員。戦後は34年参議院議員(自民党)。昭和38年2月21日死去。74歳。栃木県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「湯沢三千男」の解説

湯沢 三千男 (ゆざわ みちお)

生年月日:1888年5月20日
大正時代;昭和時代の官僚;政治家。参院議員;貴院議員;内相
1963年没

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