湯浅城跡(読み)ゆあさじようあと

日本歴史地名大系 「湯浅城跡」の解説

湯浅城跡
ゆあさじようあと

[現在地名]湯浅町青木

湯浅町の市街地より東方一・五キロの小丘にあり、湯浅氏の築城になる。東は低い鞍部で標高一八一メートル余の高地に連なり、西麓は平地、北は急斜面、南は比較的緩やかになっている。城跡の丘の頂上部は標高七八・五メートル。北に中山なかのやま丘陵が連なり、丘陵北斜面は有田川水域の平地に続き、その背後は有田川を越えて長峰ながみね山脈山並がそびえる。南は鹿瀬ししがせ白馬しらま連峰熊野街道をさえぎって紀南と隔てている。城地は小丘にすぎないが、天険を南北に控え、西は湯浅湾に面し、自然の要害となっている。湯浅氏は方寸ほうす山よりこの地に移ってきたと伝えられるが(続風土記)、築城の時期は不明。湯浅氏の出自も数説あって明らかでない。寛喜三年(一二三一)四月日付の湯浅景基寄進状(施無畏寺文書)に署名した湯浅一門四九人の人々は、紀姓・源姓もあるが藤原姓が多い。上山本湯浅系図によっても藤原氏を称している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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