湯浅村(読み)ゆあさむら

日本歴史地名大系 「湯浅村」の解説

湯浅村
ゆあさむら

[現在地名]湯浅町湯浅

湯浅湾に面し、南はひろ川で広村(現広川町)と境し、北は吉川よしかわ村、東は別所べつしよ村と接する。北部を流れる山田やまだ川と広川に挟まれた地域を村域とする。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月九日条に「此湯浅入江辺松原之勝(景)奇特也」とあり、広川の河口砂浜が延び、松原になっていた様子をうかがわせる。当時の熊野街道は近世の街道より東を通っており、吉川よりさかさ川に沿い、山の東の麓より南行して別所へ抜けていた(続風土記)。「続風土記」に「此時その道海に沿たりしに、後世入江松原益広く海瀬古の街道と隔たりしより、新田を墾闢し民居も次第に海浜に移れり」とある。

地名は「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月一八日条に「登保津々坂、次過由和佐(湯浅)里」とみえるのが早い例。「和名抄在田ありだ郡五郷中の「温笠」を湯浅の古名とする説もあるが(大日本地名辞書)、確定的ではない。なお久安三年(一一四七)正月日付の鳥羽上皇熊野詣雑事支配状(神護寺文書)に「由笠御宿」がみえ、湯浅が街道筋に位置し、熊野参詣の雑事・伝馬を送達した路次の宿所になっていたことが知られる。前引の「後鳥羽院熊野御幸記」同日条にも「今日御宿湯浅三四町許入小宅宿所、自上雖有例仮屋、此家主依儲雑事入此所文義知音男云々、先是又依文義従男取宿所、先入小宅之間、件宅有憚之由聞付之、仍騒出入此所了先達如此事不憚之由被称、父喪七十日許云々、雖然臨時水ヲカキ以景義令祓了、又依有所思、取潮コリカク、是臨時事也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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