日本歴史地名大系 「湯野村」の解説
湯野村
ゆのむら
天文七年の段銭古帳では
湯野村
ゆのむら
湯野村
ゆのむら
旧版「広島県史」は「湯野は、昔湯の迫より温泉出づ、仍て名づく」というが、中世後期には「由野」と記したらしく、天文二〇年(一五五一)九月二五日付屋葺八郎次郎宛の元之給地打渡状(「福山志料」所引)・弘治三年(一五五七)二月一六日付屋葺次郎五郎給地打渡坪付(同書所引)に「由野」とある。後者には由野内の田畠の所在地として「クカヰシリ・カイツホ・ヒエタ・クハラミソ・金代・由野城」などがみえる。
元和五年(一六一九)の備後国知行帳では高九六九石余。福山藩水野家断絶後一時幕府領となったが、元禄一三年(一七〇〇)以降福山藩領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報